今日も走ろう(鏑木毅)

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けが治療、心も癒やす 医師の励ましが支えに

2020/3/19 3:00
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冬場の運動は筋肉がこわばることもあり、トラブルが起こりやすい。10年前のオフシーズンの冬は、私にとって非常につらい日々だった。40歳で公務員を辞めプロになり、最高の結果が出ていた時期のことだ。

左足に痛みを抱えながらも練習で追い込んでいた10年前

左足に痛みを抱えながらも練習で追い込んでいた10年前

夏のレースの最終盤から左足首に鋭い痛みが続いていた。今思えばこの時に思い切って休めばよかった。だが当時すでに40歳、世界レベルで活躍できる月日はそう長くはないと焦りの気持ちが出て、休む気になれなかった。3カ月後に行われる北米での50マイルの大会での優勝を目指し、痛む左足を気にしつつトレーニングを続け、走りながらでもそのうちによくなるだろうと高をくくっていた。

北米のレースを終えた12月、アキレス腱は腫れあがり日常生活にも支障をきたすほどになった。スポーツ整形の医師からは元に戻るのは難しく、数カ月間走らずに様子を見るべきだと伝えられた。プロとはいえ、トレイルランというマイナースポーツでは賞金といってもわずかで、レースに関連したセミナーやイベントなどで稼ぐ必要があった。

そのため何軒かスポーツ整形外科を受診し、走らなければ生活が立ちゆかないと窮状を訴えた。ほかの治療方針を尋ねて回っても芳しい答えは得られなかった。いくら世界レベルのアスリートといっても、世間的には無名の私など……と次第に心のバランスも崩し、心療内科にも通うようになった。

そんな時に友人から教えてもらった整形外科の医師が「長くかかるかもしれないけれど、(患部の)この部分の腫れが引けばきっと走れるようになるでしょう」と、磁気共鳴画像装置(MRI)の画像を見ながら、時間をかけて納得するまで説明してくれた。さらには患部に負担をかけない走り方やトレーニング方法まで懇切丁寧に教えてくれたのである。

手術という方法は、長期にわたって休まざるを得なくなるため選択肢から外した。そして急性期を過ぎ、慢性化しているため、痛みと折り合いをつけながら粘り強く治す治療方針をとった。いつ治るかもわからない肉体的、精神的苦痛に耐えながらも結局、完治までに4年かかった。その医師に月数回、笑顔で常に前向きなメッセージで励ましてもらうと、気が晴れずに絶望していても「きっと治るはずだ」と思えた。人間味あふれる対応がなければ、治癒する前に心がダメになっていただろう。

確かに生活を多少犠牲にしても完全に休めば結果は変わったのかもしれない。それでも故障した後もUTMBでは2度表彰台に立てたし、ライバルと闘う以上に痛みを乗り越えた経験そのものが今でも私にとっては大きな勲章だ。その後も年を重ね以前ほど走れなくても痛みなく走れている喜びはこの上ない。

スポーツによるけがは日常生活に大きな支障をきたさない限り、さほど深刻に見えない。ところが高いパフォーマンスを発揮できない体をもどかしく思う状況は文字通り、身もだえするほど苦しい。深手を負った心に寄り添い、メンタルの治癒も手がけてこそのスポーツ医療だと実感した。医は仁術というから、医療全体が本来そうしたものかもしれないけれど。

(プロトレイルランナー)

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