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大分の「ざびえる」 和風な洋菓子が醸す、奥深い味

輝け地産品

スペイン人宣教師の名を冠した「ざびえる」は、戦国時代の豊後府内(現大分市)で花開いた南蛮文化に着想を得た和風洋菓子だ。製造元の破綻で一時は消滅の危機にさらされたが、「あの味をなくさないで」という声に奮起した元社員が新会社を設立し、復活させた。そんなストーリーも味わいをさらに深くする。

16世紀、キリシタン大名の大友宗麟が治めた豊後府内は、外国交易で栄えた。日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルも府内で布教活動をした一人。そのエキゾチックなイメージをモチーフにしたのが「ざびえる」だ。

バターを利かせて焼いたビスケットの生地の中には、ラム酒漬けのレーズンを刻んだ白あんがたっぷりと詰まっている。中がプレーンな白あんの種類もあり、それぞれ「金」「銀」と名付けられている。

1962年に老舗菓子製造の長久堂が発売すると、ほどなく贈答品の定番品になった。だが、商品点数や直売店の拡大路線が裏目に出て2000年に自己破産。相次いだ惜しむ声に応えたのが、同社営業課長だった太田清利氏だ。

当時50歳代半ばで再就職もままならなかったが、「何とか残さねば」と一念発起。01年1月に資本金1000万円をかき集め、元社員7人で「ざびえる本舗」を立ち上げて社長に就任。ざびえるの復活に乗り出した。

だが、当初は苦労の連続。レシピは同じでも窯が違うため焼きむらが出たり、パサついたり。蒸気を加えるなど試行錯誤し、ようやく本来の味を再現した。同年春から売り出すと飛ぶような人気。箱詰め作業は深夜に及び、8月には年間販売計画の1億7000万円を達成した。

現在は東京や大阪、福岡の百貨店を含め県内外100カ所以上で販売する。19年秋には立命館アジア太平洋大学(APU)とのコラボ商品も売り出した。同年8月期の売上高は7億9400万円で、7割を「ざびえる」が稼ぐ。「営業一筋で経営の素人だったがやればできた。大切なことは菓子に教わった」。太田社長はしみじみと語る。

(大分支局 奈良部光則)

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