大阪に地名「天満」あちこちに…なぜ?
とことん調査隊

2020/3/17 2:01
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記者の最寄り駅は大阪市高速電気軌道(大阪メトロ)の天満橋駅(大阪市中央区)。タクシーの運転手に「天満ではなく天満橋ですね?」と確認されることが多い。大阪へ遊びに来る友人が誤って天満駅に行ってしまうこともあった。なぜ天満駅から離れた橋に天満橋と名付けたのだろう。また、駅と町名の「天満」は全く別の場所だ。本当の「天満」はどこなのか。

大阪歴史博物館の大澤研一副館長は「天満の名前は大阪天満宮に由来する」と説明。天神橋筋には天満宮の創建(949年)以前の8世紀ごろから人が住んでいたという。同筋は周囲より僅かに標高が高く「道ができて人が集まる条件が整っていた」という。

天満が地名として親しまれるようになったのは戦国時代。「日本歴史地名大系 大阪府の地名」によると、16世紀の書物に天満という地名が登場する。豊臣秀吉が大阪城周辺の造設に乗り出し、天満の開発に着手。既にあった天満宮の門前町に加え、寺町をつくるなどして街を広げた。

江戸時代の1619年には町方組織として天満組が設置され、北組と南組と合わせ「大坂三郷」と呼ばれた。町名の天満の南端と東端は大川、北端はJR天満駅周辺、西端は天満堀川の範囲に広がり、一丁目から十一丁目と十一丁目下半町が町名として成立。町名ではなかったが、現在の西天満周辺までが広く「天満」と親しまれた。

大阪歴史博物館が所蔵する「明暦元年大坂三郷町絵図」(1655年)には現在よりひと筋東側にかかる天満橋が描かれている。大澤さんは「当時大坂と呼ばれたのは大阪城側で、天満は大坂ではなかった。大坂から天満に行く橋だから名付けたのではないか」と考察する。

明治5年に町名としての天満は消滅するが、1978年2月1日に復活。その間に天満駅(1895年)や京阪電気鉄道の天満橋駅(1910年)が開業した。JR西日本に聞くと「天満宮の門前町として栄えた天神橋筋商店街に接続する駅として名付けたと考えられる」と教えてくれた。

町名に戻る。78年、天満一丁目から四丁目に加え、天満橋、東天満、西天満、天神西町の町名が生まれた。市の担当者は「町界町名地番整理方針に基づき、住民の意見を踏まえ審議会で決まった」と話す。肝心の住民の意見は「記録がない」との回答だった。

審議会の議事が記録された住居表示審議会関係書類を調べると、77年7月の北区案の段階で天満、天満橋などはほぼ現在の範囲で固まっていた。地域振興会正副町会長など地元役員を通じ、住民の意向を反映したという。

ある天満の住民は「地元の振興会関係者が早くから呼び込んだために決まったと伝え聞くが、由緒ある『天満』を他の地区も付けたかったようだ」と教えてくれた。天満駅の場所については「あそこが天満というのはピンとこない」と不服そう。一方、天満一丁目に本社を構える象印マホービンの広報担当者は「『天満で飲もう』と言っても誰もここには来ない」と笑った。

決定までに時間がかかった町名もある。住民の考えがなかなかまとまらなかった天満宮の南西側の地区は、かつて天満を冠した町域だったことなどから「天神西町」という新しい町名に。もともと天満五丁目や堀川町に決まっていた地区は、両地区が同じ町会組織だという住民の強い要望から、東天満に変更された。こうして天満は四丁目までとなり、東天満が生まれた。

新たに決まった町名とかつての天満は多くの部分が重なっていることがわかる。大澤さんは「秀吉の開発以降、町名に限らず天満宮を中心にこれだけ広がった地名は珍しい」と感心する。人々の愛着が天満を大きくさせたことを実感した。

(大沢薫)

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