金取引の拠点、150年ぶり大阪へ 貴金属と深いゆかり
とことん調査隊

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2020/3/24 2:01
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金(ゴールド)など貴金属の先物取引が7月、東京商品取引所から大阪取引所に移管される。商品市場を担当する記者は取材先で「大阪は金をはじめ貴金属と関係の深い場所なんですよ」と聞いた。大阪市の産業というと繊維や医薬品のイメージが強く、意外に感じた。興味が湧いたので「貴金属の街」の歴史をたどってみた。

まずは大阪取引所と貴金属との関係を探るべく、大阪メトロ北浜駅そばの同社へ向かった。堺筋と土佐堀通の交差点に面する正面玄関近くの壁に、記念碑らしいものが埋められている。のぞいてみると「大阪金相場会所跡」と記してある。金相場会所とはいったい何だろう。

日本経済史に詳しい大阪大学の宮本又郎名誉教授に聞くと「江戸時代の流通貨幣は基本的に東日本だと金、西日本では銀でした。東西で異なるため交換需要が生じます。金相場会所は金と銀の交換レートを決めていました」と教えてくれた。つまり、銀との交換レートという形式で金の価格情報を発信していた。

金相場会所は1725年に幕府公認となり、両替商が取引していた。両替商は現在ならメガバンクに相当するだろうか。詳しい資料は残っていないものの、大阪市の堂島地区にあったコメ市のように、現物だけでなく先物も取引されていたとみられる。

金相場会所は明治維新に伴って閉鎖された。大阪取引所の親会社である日本取引所グループ(JPX)が東京商品取引所を買収したことで、貴金属の先物取引が大阪取引所に移管される。約150年たって同じ場所で金の取引が復活することになる。宮本氏は「貨幣だった江戸時代と金の役割は違うとはいえ、不思議な巡りあわせですね」と目を細めながら語る。

金相場会所では金、銀のほかに取引されていたものがあった。銅銭の銅だ。流通貨幣の違いから「江戸の金遣い、大阪の銀遣い」と呼ばれたが、長崎でのオランダとの貿易を通じて銀の国外流出が進んだ。京都産業大学日本文化研究所の森島克一特別客員研究員は「減った銀に代わる決済貨幣として重宝されたのが銅。大阪は銅生産の中心地でもありました」と説明する。

大阪市内を歩いてみると、確かに銅関連の史跡が目に付く。大阪取引所の西側にある「銅座の跡」は江戸時代、銅を管理していた幕府の役人が詰めていた。大阪取引所の南側の長堀通近くには「住友銅吹所跡」がある。財閥の住友家が経営していた銅の精錬所跡だ。史跡の存在から銅の生産や取引が盛んだったことがうかがえる。

明治政府は銅の調達のしやすさなどに着目し、大阪市の天満地区に貨幣製造を担う造幣局を設立した。現在、造幣局は独立行政法人となり、500円硬貨や100円硬貨などをつくっている。貴金属ではない銅も、金や銀と同じく大阪市の発展に貢献した。森島氏は「金取引の復活を契機に、大阪は貴金属とゆかりがあることをもっとアピールして観光や教育に活用すべきです」と提言する。

取材を終えたので一杯を楽しもうと、大阪取引所や銅座跡からも近いバー「BarFPO」を訪ねた。株式などのチャートを表示する端末が並び、デイトレーダーが集う店として知られる。大阪市在住のお客と話すと「金先物取引を資金のヘッジ先のひとつにしようかな」との意見が聞かれた。大阪取引所への移管を前向きにとらえる投資家は少なくないようだ。

いまの大阪市に金・銀の両替商はいないし、銅の精錬所もない。ただ、貴金属との関係は深く、金取引が近く復活する。行政や企業の取り組み次第では、再び「貴金属の街」として飛躍できる可能性があるのではないか。グラスを傾けながらふと思った。

(山本修平)

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