パラリンピック進化形

フォローする

パラリンピック発祥の英病院 競技の普及、今も

(2/2ページ)
2020/3/11 18:00
保存
共有
印刷
その他

■娘が語る「パラリンピックの父」

神経科医のルードウィヒ・グットマンが故国ドイツを捨て、英国に渡ったのは1939年3月のこと。第2次世界大戦勃発の半年前だ。「フランスへ向かう列車で、母がとても悲しそうだったのを覚えている」。英国東部の海沿いの街オールドバラに住むグットマンの長女、エバ・ロフラーさん(87)が幼い日の記憶をたどってくれた。

アルバムを見ながら父との思い出を語るエバさん(英国・オールドバラ)

アルバムを見ながら父との思い出を語るエバさん(英国・オールドバラ)

ナチスの台頭が背景にある。ユダヤ人のグットマンはユダヤ系病院でしか働けなくなっていた。38年11月、「水晶の夜」事件でナチスの突撃隊がユダヤ人を襲撃した際は、病院に逃げ込んだ約60人の命を救ったという。

44年6月のノルマンディー上陸作戦を前に、傷病兵の急増を予想した英国政府は、ストーク・マンデビル病院に脊髄損傷部門設置を決定。グットマンを部門長に選んだのは、ドイツで炭鉱労働者の同様のケガを治療したことが知られていたからだ。

1953年のストーク・マンデビル大会であいさつをするグットマン=ナショナル・パラリンピック・ヘリテージ・センター提供

1953年のストーク・マンデビル大会であいさつをするグットマン=ナショナル・パラリンピック・ヘリテージ・センター提供

当時、脊髄損傷は致死の病とされ、他の医者は興味を持たなかった。「でも父は部門長になるのに興奮していた。どう患者を治せるかに関心をかき立てられていた」とエバさん。安静が唯一の治療法とされていた時、2時間ごとに寝返りをさせ、患者を車いすに乗せて動かした。そこからスポーツにたどり着く。

■スポーツが生きる希望に

ナショナル・パラリンピック・ヘリテージ・センターのビッキーさんによると、きっかけは車いすの患者たちがほうきで球を打って遊んでいるのを偶然見かけたことだという。ゲートボールの原型であるクロッケーというスポーツのまねごとだ。「運動になるし、チームワークが求められるし、何より競争性があった。競おうという感情はとても大切なものだから」とビッキーさん。

体が動かなくなって落ち込んでいる患者が、スポーツの本質である競争心に触れ、生きる希望を取り戻す。グットマンは「6カ月の治療と訓練で85%の患者を社会復帰させる」との目標を立て、リハビリにスポーツを積極的に取り入れた。

ただ本人は運動は苦手だったようだ。「私が物心ついてからスポーツをしているのを見たことがない。自転車を練習しようとして壁に突っ込み、一生自転車にも乗れなかった」(エバさん)

アーチェリーをする選手たち=ナショナル・パラリンピック・ヘリテージ・センター提供

アーチェリーをする選手たち=ナショナル・パラリンピック・ヘリテージ・センター提供

48年7月に病院で開いた最初の大会の運営をエバさんも手伝った。「選手たちの楽しむだけでなく、ベストを尽くそうという姿が印象に残った」

それから64年後、再び選手の生の姿に触れ、感慨を新たにする。2012年ロンドン・パラリンピックの選手村村長に選ばれたのだ。ギリシャのボッチャ選手の母親の言葉がいまも耳に残る。「重い障害の娘の世話を22年間してきたけど、こんなところで競うことができるなんて素晴らしい」

グットマンは第1回大会で「いつの日か、障害者のためのオリンピックが開かれることを夢見ている」とあいさつした。ロンドン・パラの陸上では8万人の大観衆が英国選手の名前を叫んだ。「最も素晴らしい体験。グットマンの娘としてのプライドが一層大きくなった」とエバさん。

父の夢は、現実となったのである。

(摂待卓)

パラリンピック進化形をMyニュースでまとめ読み
フォローする

  • 前へ
  • 1
  • 2
保存
共有
印刷
その他

関連記事

電子版トップスポーツトップ

パラリンピック進化形 一覧

フォローする


 日本生命保険は、車いすバスケットボールを中心としたパラスポーツの観戦会を定期的に開催している。5年間で延べ約2万人の職員が参加。2017年4月には日本車いすバスケットボール連盟の公式パートナーとなり …続き (8/25)

=共同共同

 延期された東京パラリンピックの開幕まで1年となった24日、陸上と競泳の両国内競技団体で、本年度はスポンサー企業からの協賛金収入がともに約1300万円の大幅減となることが関係者への取材で分かった。金メ …続き (8/25)

丸井グループがつくった専用ピッチで練習する日本代表の選手たち(7月、東京都小平市)=日本ブラインドサッカー協会提供日本ブラインドサッカー協会提供


 流浪の民が、ようやくついのすみかを手に入れた。ブラインド(5人制)サッカーの専用ピッチが6月、東京都小平市に完成した。各地の施設を転々としながら合宿をしてきた日本代表にとっては、初の専用練習場。提供 …続き (8/24)

ハイライト・スポーツ

[PR]