ワンチームになれた 未来につなぐ自信 岩手・釜石

2020/3/8 5:00
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昨年日本で開催されたラグビーワールドカップの会場で唯一、東日本大震災の被災地として注目を浴びた岩手県釜石市。台風によって予定していた2試合のうち、1試合が中止になったが、国際統括団体「ワールドラグビー」がラグビーの価値を社会に広めた個人・団体に贈る「キャラクター賞」に選ばれ、世界的にも評価された。大会から4カ月あまり。震災発生から9年を前に、誘致活動に携わった人や住民の声を聞いた。

春から釜石市を離れる洞口さん。ラグビーW杯を終え「これからは自分たちが街を守っていかなくちゃいけない」。決意を胸に旅立つ

春から釜石市を離れる洞口さん。ラグビーW杯を終え「これからは自分たちが街を守っていかなくちゃいけない」。決意を胸に旅立つ

釜石高3年の洞口留伊さん(18)は、昨年11月のキャラクター賞の表彰式に出席した。「多くの人に支えられて賞をいただけた。評価されたことで、釜石のために貢献したいと気を引き締めた」

大会開催が決まってから、高校生の自分がラグビーW杯のために何ができるかを考え続けた。釜石鵜住居復興スタジアムは、津波が押し寄せた鵜住居小と釜石東中の跡地に建設された。震災当時、同小の3年生だった洞口さんは、中学生たちの先導で津波から逃れた。被災後、支援物資で学用品や衣服をまかなえた。完成記念のイベントでは、当時を振り返りつつ、ラグビーW杯開催への思いを込めてスピーチした。「世界中に復興支援への感謝を伝えたかった」と語る。

この春には新たな目標を胸に故郷を離れ、首都圏の大学で防災について学ぶ予定だ。被災体験で痛感したのは、災害に備える心構えと知識の大切さだった。将来は釜石に戻り、子どもたちや外国からの観光客や視察関係者らに、震災について伝える活動をしたいという。

釜石鵜住居復興スタジアムに立つ中田さん。観客でいっぱいになった光景が目に焼き付いている

釜石鵜住居復興スタジアムに立つ中田さん。観客でいっぱいになった光景が目に焼き付いている

釜石鵜住居復興スタジアムは大会開催地で唯一新設された。五輪など大規模の大会で新設された競技場は、その後の活用が課題になりがちだ。誘致活動で中心的な役割を果たした中田義仁さん(51)は、観光や防災教育の拠点として、スタジアムへ期待を寄せる。「ラグビーの街で、被災地でもある。この場所をスタート地点に釜石のことを知ってもらう活動ができる」と中田さんは強調する。

中田さん自身は市内の内陸部に住み、津波を免れ、経営する薬局も無事だった。震災から数カ月後、かつて日本選手権7連覇を果たした地元の新日鉄釜石ラグビー部のOBを中心に、ラグビーW杯の会場誘致の声が上がったが「被害がないことに引け目を感じ、関われなかった」という。高校時代はラグビーに熱中した。本音を言えば、ラグビーW杯を地元で見たい。2014年、会場となる予定だった鵜住居地区の住民団体が誘致に賛成したことに勇気づけられ、誘致活動に加わった。ラグビーW杯を通して、住民たちは「ワンチームになった」という。各国の選手を迎える準備をし、試合前に披露しようと感謝を込めた歌を作った。「最初は反対する人もいたけど、終わってみればみんながやってよかったと言っている」

「釜石ラグビー神社」の建設を前に、地鎮祭に臨む関係者ら

「釜石ラグビー神社」の建設を前に、地鎮祭に臨む関係者ら

現在、大会期間中に東京・丸の内に設けられた「ラグビー神社」を、スタジアム近くに移設する計画が進む。費用の一部に活用しようと、クラウドファンディングで支援を募ると、予定の150万円を上回る214万円が集まった。「全国の方から釜石を高く評価してもらえた。自信につながった」と声を弾ませる。神社は地鎮祭を終えて工事が始まり、3月半ばにお披露目する予定だ。

運営に携わるトライアスロン大会のスタート地点の根浜海岸で笑顔を見せる三上さん。東京五輪の聖火ランナーに選ばれた

運営に携わるトライアスロン大会のスタート地点の根浜海岸で笑顔を見せる三上さん。東京五輪の聖火ランナーに選ばれた

東京五輪に向け、6月半ばに釜石市内でも聖火リレーが行われる。ランナーに選ばれた三上雅弘さん(56)は、ラグビーW杯を「一体感がすごかった」と振り返る。市中心部で連日あったパブリックビューイングには市民や観光客が集まり、一緒に声援を送った。「スポーツの持つ魅力を改めて認識した」

初開催から30年を迎える「釜石はまゆりトライアスロン国際大会」の運営に携わる。根浜海岸をスタートしてスタジアムのある鵜住居地区などを回る。震災直後に訪れたとき、津波にすべてが流された光景にぼうぜんとした。自身も釜石市中心部で経営していた時計店が津波に襲われ、廃業を余儀なくされた。再び大会を開けるのか。葛藤はあったが、コース沿道の住民たちに意見を聞くと「復興につながる。協力したい」と後押しされ、復活へと動いた。11年は中止したが、12年は水泳のみ。翌年はランを加え、さらに次の年に自転車も。地道に復活させていった過程を聖火リレーランナー募集の用紙に盛り込み応募、当選した。開催にこぎつけるまで市内外の人の力が欠かせなかった。「どんな大会も、簡単にできるものではない。多くの人の力で成り立っている。お世話になった人の思いを込めて走りたい」と意気込みを語る。

ゴール裏にあった仮設の客席が撤去された釜石鵜住居復興スタジアム。芝生に跡が残る

ゴール裏にあった仮設の客席が撤去された釜石鵜住居復興スタジアム。芝生に跡が残る

熱狂の大会を終えて、釜石市は日常の静けさを取り戻している。市内各所に立てられたラグビーW杯ののぼりはなくなったが、盛り上がりを未来へつなげようと住民たちはじっと前を見据えている。

(写真映像部 中尾悠希)

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