/

感動をどう表現? レコメンドは責任重大(井上芳雄)

第63回

NIKKEI STYLE

井上芳雄です。最近は映画などの推薦コメント(レコメンド)を頼まれることが増えました。短い文章で自分が感じたことを伝えるのは難しいですね。素晴らしい作品であるほど、自分の考えをちゃんとまとめて、読んだ人が「それなら見たいな」と思うものでありたいし。レコメンドはけっこう大変な仕事で、責任が重大だといつも感じています。

最近だと、2月7日に公開された『37Seconds』(サーティセブンセカンズ)という映画に、こんなレコメンドをしました。

この映画の主人公は、生まれた時に37秒息をしていなかったことで脳性まひになったユマという23歳の女性。彼女が自分の道を切り開いていく話です。ユマの母親役で出演されている神野三鈴さんから教えていただき、映画を見てみると、素晴らしかったので、レコメンドを書きました。ただ、軽々しく感想を言えるテーマではないので、実際に書くときは、もう1回見て、自分で納得したうえでまとめました。

あらためて見て確信したのが、この映画は障害を抱えているのが大変だと言いたいのではなく、ユマちゃんが、自分は自分でよかった、と言っているように、37秒をどうやって乗り越えていくかの話。誰にも多かれ少なかれ、「あのときああじゃなかったら」とか「自分はもっとこうだったら」という思いはあるだろうから、普遍的なテーマを描いている映画だなと。だったら「誰にも自分にとっての37秒があるんじゃないか」と言ってもいいはずだと、自分の中で考えが落ち着いたので、こういう言葉になりました。

作品が素晴らしくて、その良さを伝えたいと思っても、4~5行くらいの文章にまとめるのって難しいですね。感じたことをそのまま書けばいいんでしょうけど、やっぱりセンスとか考え方とか、もっと言えば自分自身が問われるみたいな気持ちになるので、すぐにはまとまりません。2~3日寝かせるというか、時間をおいてから言葉にすることが多いのです。

昨年公開された『ベル・カント とらわれのアリア』へのレコメンドも、じっくり考えて書いた記憶があります。ジュリアン・ムーアさんと渡辺謙さんが共演した米国映画で、1996年にペルーで起きた日本大使公邸占拠事件から着想を得て、テロリストと人質の交流を描いています。

これも素晴らしい映画でしたが、実際の事件が題材で創作のところもあり、政治背景も絡まってくるので、あまりうかつなことは言えません。ジュリアン・ムーアさんがオペラ歌手を演じているので、歌を軸にしようと思いました。

歌の力を感じる映画でした。
違う立場の人達が向き合い、生活を共にする中に、幻のユートピアを見た気がします。
真実の愛を歌に託せば、全ての人に届くかもしれないという夢を抱いてしまうような。
それでも、私達は歌い続けるしかありません。
絶望から希望へと。

今読み返すと、ちょうど舞台の『組曲虐殺』で小林多喜二を演じていたころだったので、絶望や希望というところに目がいったみたいです。短い文章の中にも、そのときの自分の気持ちが反映されているものです。

本の帯にレコメンドを寄せることもあります。自分が役を演じた舞台の原作や戯曲だったりすると、映画の感想よりも気が楽というか、インタビューでしゃべったことを基にできたりするので書きやすいですね。例えば、こんなふうに。

人はどうやって前に進んでゆくのかというヒント、素晴らしい言葉がたくさん詰まった物語だと思います。
――『十二番目の天使』(オグ・マンディーノ著)

こんなに切ない役に今後出会えるだろうか。
――『アルカディア』(トム・ストッパード著)

カウンターテナーのオペラ歌手、藤木大地君からは、CDアルバムのライナーノーツを頼まれたことがあります。彼とは東京藝術大学時代の同級生です。ライナーノーツなんて書いたことないよ、と言ったのですが、送られてきたアルバムを聴いたら、本当に素晴らしかった。じゃあ、引き受けようとなって、でも何を書けばいいのか。2人のつながりとかでいいんだよ、と言われたので、大学時代の話から書きました。ただ、普通に友人だから、彼の歌が素晴らしいのは本当だけど、ほめまくるのも照れくさい。かといって、学生時代の暴露話なんかは書けないし(笑)。レコメンドする相手との距離感が難しいなと思いました。だけどそこで、相手が自分にとってどんな人なのか、どう思っているのかを、あらためて考えてみる、いい機会になりました。

レコメンドを考えるのは、自分の考えを簡潔に伝える訓練にもなります。自分の楽しみで見たり聴いたりするときは、会話で感想を言ったりはしても、簡潔に要点をまとめて、バランスを考えてしゃべるということはしませんよね。でも人に薦めるときには、どこに感動したかとか、どう言うと伝わるかとか、すごく考えます。僕は、生でコメントしたり、ラジオでしゃべったりする機会も多いので、なにか役に立つと思っています。

「思い」を伝えたいという気持ち

そんなふうに、自分が本当にいいと感じたもの、伝えたいと思ったものはレコメンドをお引き受けします。ただ、自分の思いとあまりに違っていたり、僕の名前でお薦めするのは難しいかなと思うときは、心苦しいですが、依頼をお断りするときがあります。

僕自身のことを考えても、吉本ばななさんやジェーン・スーさんといった好きな作家さんやクリエーターの方が推薦していると、それだけで買ったり見たりすることがあります。だから逆に、自分がレコメンドするときは責任が重大です。

一生懸命つくったものを、どうやってたくさんの人に見てもらうかという苦労は、自分もいつも感じていること。「思い」を伝えたいという気持ちが、すべての始まりだと思うので、その原点を大切に、僕にできる限りのことはしていきたいですね。

井上芳雄
 1979年7月6日生まれ。福岡県出身。東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。大学在学中の2000年に、ミュージカル『エリザベート』の皇太子ルドルフ役でデビュー。以降、ミュージカル、ストレートプレイの舞台を中心に活躍。CD制作、コンサートなどの音楽活動にも取り組む一方、テレビ、映画など映像にも活動の幅を広げている。著書に『ミュージカル俳優という仕事』(日経BP)。

「井上芳雄 エンタメ通信」は毎月第1、第3土曜に掲載。第64回は3月21日(土)の予定です。

すべての記事が読み放題
有料会員が初回1カ月無料

ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
※ NIKKEI STYLE は2023年にリニューアルしました。これまでに公開したコンテンツのほとんどは日経電子版などで引き続きご覧いただけます。

セレクション

新着

注目

ビジネス

ライフスタイル

新着

注目

ビジネス

ライフスタイル

新着

注目

ビジネス

ライフスタイル

フォローする
有料会員の方のみご利用になれます。気になる連載・コラム・キーワードをフォローすると、「Myニュース」でまとめよみができます。
新規会員登録ログイン
記事を保存する
有料会員の方のみご利用になれます。保存した記事はスマホやタブレットでもご覧いただけます。
新規会員登録ログイン
Think! の投稿を読む
記事と併せて、エキスパート(専門家)のひとこと解説や分析を読むことができます。会員の方のみご利用になれます。
新規会員登録 (無料)ログイン
図表を保存する
有料会員の方のみご利用になれます。保存した図表はスマホやタブレットでもご覧いただけます。
新規会員登録ログイン

権限不足のため、フォローできません