今日も走ろう(鏑木毅)

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悔しさがエネルギーに 野村克也さん、叔父の共通点

2020/3/5 3:00
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プロ野球で戦後初の三冠王、指導者としては3度の日本一をなし遂げた野村克也さんが亡くなった。野球人としての功績は一言で言いつくせず、いずれも抜きんでていた。現役中は常に努力することをいとわず、反骨心が旺盛で「王や長嶋がヒマワリなら、俺はひっそりと咲く月見草」など、心に思ったことは忖度(そんたく)なしに言い放つもののどこか愛嬌があり、いい意味での「毒」があった。

印象的だったのは、野村さんの薫陶を受けた人たちの多くが涙で哀悼の言葉を述べる姿だ。メディアで受け取る印象とはまた違った、人を心酔させる魅力にあふれていたのだろう。人柄がしのばれるとともに、一心に好きな野球に打ち込むことで多くの人々に影響を与えた人生をうらやましく感じた。

野球一途の生き方が愛された(訃報を受け、試合前に野村さんが映し出されたバックスクリーン、沖縄・名護)=共同

野球一途の生き方が愛された(訃報を受け、試合前に野村さんが映し出されたバックスクリーン、沖縄・名護)=共同

野村さんの死に触れ、4年前に亡くなった叔父を思い出した。好き嫌いが激しく、付き合うには難しい人だったけれど、理不尽なことをそのまま見逃すことができない性格だった。地元の小学校を集落から離れた場所に移転させることの反対運動の先頭に立つなど、常に何かの社会の問題点と闘っていた。

このような活動で家業を休むことが多くなり、家族は貧しくつらい思いをしたという。とにかく正義感が強く、田舎に独特の和を重んずる空気にまるで流されることなく振る舞い、歯に衣(きぬ)着せぬ物言いで敵をつくった。ただ、何事にも情熱的だった。子供ながらにいつもハラハラしながら叔父の言動を見聞きしていたことを思い出す。しかし没後にさまざまな人から叔父を懐かしむ声を聞くと、その人生の意義を感慨深く感じる。

叔父からは繰り返し「正直者でいろ」と言われた。当時小学生の自分は「嘘などついておらず、日々無難に過ごしているのに何故そんなことを言うのか」と疑問を抱いていた。今になって思えば、自分の意志に正直に(意のままに)生きるべきだという意味だったのかと気づく。

その言葉に対して実際、どう生きてきただろう。幼少時から気弱だった私は、人とあつれきが生じることを嫌い、いつも他人の主張に従い自分の意思を曲げて生きてきたような気もする。良くいえば従順、ただ常に心にストレスを抱えてきた。実のところトレイルランニングの世界で花開いたのも、このような満たされぬ思い、悔しさをエネルギーに変えて走ることに全力で打ち込んだから、ともいえそうだ。正直なところ叔父のように、常に言いたいことを言い、やりたいことを実行する生き方はずっと憧れでもあった。

50歳を過ぎ、将来の自分の死と葬儀についてふと考えた。将来とはいっても野村さんや叔父の年齢を考えればあと30数年だ。これまで生きてきた道のりを思えばもうそう長くはない月日のように感じる。自分の死に何かを感じてくれる人がいったいどれくらいいるだろうか。野村さんのようにはいかないまでも、自分らしく精一杯生きたいと思う。

(プロトレイルランナー)

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