春のセンバツ、大阪だった!? 幻の寝屋川球場案
とことん調査隊

2020/3/10 2:01
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選抜高校野球大会の会場は言わずと知れた阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)。「春の甲子園」とも呼ばれるセンバツについて、取材で知り合った大学教員から思いもかけない言葉を聞いた。「京阪の寝屋川球場で開催しようという声があったんやで」。寝屋川球場とは何か、そして「春の寝屋川」はなぜ実現しなかったのか。今春の開催可否が近く判断されるセンバツと、京阪電気鉄道の関係を元高校球児の記者(26)が調べた。

野球も取材も迷ったら直球勝負だ。京阪電鉄の持ち株会社、京阪ホールディングスの広報担当者に聞いた。「大阪府寝屋川市に球場を持っていたことは事実です」。寝屋川球場は本当にあった。ただ、現在はないという。さらに詳しく教えてもらおうとすると「当時を知る者は社内におりません」。100年ほど前の出来事のため当然だろう。

参考になればと見せてくれた京阪電鉄の社史をもとに、球場跡地を訪ねた。京阪本線寝屋川市駅から5分ほど歩いた住宅街に「寝屋川球場跡」の石碑が立っていた。1922年4月に陸上競技場として整備され、同年8月に野球場が併設されたと記してある。野球場は24年に甲子園球場ができるまで「日本一の規模を誇りました」。

京阪電鉄はどうしてつくったのだろうか。「沿線開発の一環です」。関西の鉄道沿線文化や大衆娯楽に詳しい関西大学の永井良和教授が説明してくれた。阪急電鉄の前身である箕面有馬電気軌道が13年に豊中グラウンド(大阪府豊中市)を、阪神電気鉄道が24年に甲子園球場をそれぞれ建設した。関西の私鉄は沿線のにぎわい創出のため、スポーツ施設などを整備していた。沿線開発の重要性はいまも昔も変わらない。

寝屋川球場では全国中等学校優勝野球大会(現在の全国高校野球選手権大会=夏の甲子園)の大阪府大会が開催されるなど、京阪本線の沿線活性化に貢献したとみられる。後発の甲子園球場で夏の全国大会の開催が決まると、刺激を受けた京阪電鉄が「春の寝屋川」に向けてセンバツ誘致へ動きだした。

同社は寝屋川球場の拡張を検討するとともに、センバツを始めようとしていた大阪毎日新聞社(現・毎日新聞社)に寝屋川球場での開催を打診した。毎日新聞社にも当時の状況を聞いたが、やはり「開催前のことは調べても分かりません」との回答だった。ただ、京阪電鉄の社史には「毎日新聞社側も乗り気」だったと書いてある。

実現しなかったのは、京阪電鉄が断念したからだ。開催時期は春の観光シーズンと重なり、安全輸送に支障を来すという運輸部門の意見が影響した。寝屋川球場には人気チームの試合となると2万人を超える観客が詰めかけ、帰宅時の輸送に2時間以上かかっていた。さらに当時の同社は新線整備を控えており、永井教授は「本業の鉄道事業以外に資金を使いづらかった」と考える。

24年にセンバツの1回目が名古屋市の山本球場で開催され、2回目からは甲子園球場に移った。太平洋戦争が近づくと寝屋川球場の稼働率は低下し、京阪電鉄は42年に住宅用地として売却した。一方、阪急電鉄などの関西の私鉄大手は戦争前後に相次いでプロ野球のチームを持った。京阪電鉄はプロ野球に参入することもなく、「春の寝屋川」も幻となった。

日本高等学校野球連盟によると、2018年のセンバツには開催期間13日(休養日1日を含む)で54万人が来場した。1日の最多来場者は6万2000人だった。野球と同じく「たられば」は厳禁かもしれないが、寝屋川球場が会場となっていたら甲子園球場と並ぶ高校球児の聖地と呼ばれ、京阪電鉄にとっても一大イベントとなっていたのかもしれない。

(高崎雄太郎)

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