造船所、みなと神戸の礎築く 川崎重工と三菱重工
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2020/2/27 2:01
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川崎重工業の液化水素運搬船(神戸港)

川崎重工業の液化水素運搬船(神戸港)

神戸港を周遊する遊覧船がポートタワーのある中突堤を出航して程なく、右手にクレーンや工場棟が立ち並ぶ一帯が近づいてくる。最初に見えるのが川崎重工業の神戸工場、数分後に三菱重工業の神戸造船所が現れる。神戸経済の礎となった造船業の2大拠点だ。

晴天に恵まれた2月上旬、川重神戸工場の敷地内を取材で訪ねた際、突然「ファーン」という大きな音が2度3度と鳴り響いた。「潜水艦の汽笛の性能を確かめる『汽笛吹鳴』の試験です」。工場の担当者が音の正体を教えてくれた。

■潜水艦の建造地

甲子園球場約9個分の敷地には大小様々な工場棟が複雑に並び、潜水艦の建造は主力事業の一つだ。奥谷能久事務所長は「139年の歴史がある川重創業の地であり、船造りで培った技術が発展して鉄道車両や航空機などの事業を生んだ『マザーファクトリー』です」と説明する。

長い歴史の象徴が工場北東部にある「第1ドック」跡地だ。1902年に完成し、神戸に寄港した外来船などの修繕に活躍した。95年の阪神大震災で被災。有形文化財に登録されたが、その後埋め立てられ、今はドック周縁部を示す薄赤色のペイントだけが残る。

川重神戸工場のシンボルでもあった第1ドックだが、老朽化と震災の影響で2013年に111年の歴史の幕を閉じた

川重神戸工場のシンボルでもあった第1ドックだが、老朽化と震災の影響で2013年に111年の歴史の幕を閉じた

115年前に誕生した三菱重工の神戸造船所も、川重と相似の歴史を歩んだ。数々の船を海に送り出し、現在の主力が潜水艦の建造であるのも同じ。そして造船業から枝分かれして鉄道や建機、発電、電機などの事業や会社が育った。敷地内には、江戸幕府が建造した「和田岬砲台」が今に引き継がれている。

■関連産業も育む

「船を造るには鉄鋼や機械など総合的な技術・産業が必要になる。神戸に造船工場ができたことで川上・川下の関連産業も育ち、近代工業が発展する基礎となった」と、奈良県立大学の戸田清子教授(日本経済史)は解説する。経済以外の面でも、(1)神戸西側が工業地帯として復活(2)多くの労働者が集まったことで一つの社会階層が生まれ、新たな生活文化や制度を形成(3)日本の芸術文化への貢献――を指摘する。

大正時代に撮影された現在の川重神戸工場

大正時代に撮影された現在の川重神戸工場

(2)を物語るのが、神戸港にある「八時間労働発祥之地」の記念碑だ。第1次大戦後の不況時に現在の川重神戸工場で労働争議が起き、当時の松方幸次郎社長が19年に8時間労働制を導入し、全国に広がった。松方氏は(3)の点でも、膨大な美術品収集「松方コレクション」で名を残した。

70~80年代になると、石油危機や円高で造船不況に見舞われる。その後も韓国や中国勢に押され、三菱神戸造船所は2012年に新造商船の建造から撤退。川重も17年発表の構造改革で国内の商船建造を県外に集約した。神戸の造船2工場に、貨物船などを次々進水させた往時の姿はない。

だが100年超の技術の蓄積まで失われたわけではない。三菱神戸造船所は原子力発電や航空機、川重神戸工場は発電やプラントといった事業がそれぞれ造船を補う柱となっている。

次代の芽の兆しもある。三菱重工の神戸造船所二見工場(兵庫県明石市)で1月末、日欧などがフランスに建設中の熱核融合実験炉の中枢機器が披露された。高さ約17メートル、重さ300トンの巨大な超伝導コイルで、太陽の輝きと同じ核融合反応のカギを握る。泉沢清次社長は「技術力と知見を生かして夢のプロジェクトに貢献したい」と述べた。

三菱重工業が製造した熱核融合炉の中枢機器(神戸造船所二見工場)

三菱重工業が製造した熱核融合炉の中枢機器(神戸造船所二見工場)

川重神戸工場では白地の真新しい船が接岸し、装備などの取り付け作業が行われていた。昨年12月に進水した世界初の液化水素運搬船で、低炭素時代の主力燃料とされる水素の大量輸送を担う技術だ。「野球に例えると4番打者でなくても、前後の打順で確実に打つ工場であり続けたい」。奥谷事務所長は最後にこう話した。

(堀直樹)

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