関西 研究開発担う街に 東洋炭素 近藤尚孝会長兼社長
未来像

2020/2/26 2:01
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 こんどう・なおたか 1957年愛知県生まれ。80年国際基督教大教養卒、三井物産入社。85年東洋炭素入社。米国法人の設立などに関わった後、生産部門や海外営業を担当。社長などを経て2018年から会長と社長を兼ねる。

こんどう・なおたか 1957年愛知県生まれ。80年国際基督教大教養卒、三井物産入社。85年東洋炭素入社。米国法人の設立などに関わった後、生産部門や海外営業を担当。社長などを経て2018年から会長と社長を兼ねる。

■繊維など主要産業が衰退してきた関西。その中で東洋炭素は半導体製造に使う黒鉛製品で世界シェア首位のニッチトップ企業だ。会長兼社長の近藤尚孝さん(62)は、関西企業の強さの裏側には"街"と"人"があるとみる。

大阪は古くから商人の街として栄え、近代以降は繊維や家電メーカーが成長した。ただこうした業種は生産の海外移転が進んだ。今でも機能性材料では関西が強みを持つが、日本で生産するのは特殊なもののみだ。

ものづくりの拠点としては衰退する一方、研究開発拠点としての魅力は高まっている。東京は一極集中が進んで通勤など生活環境が悪くなっている。一方で関西は都市機能が充実しつつコンパクトだ。優秀な理系人材を抱える大学や研究機関も集まっていて潜在能力が高い。

大阪は率直にものを言う人が多い。これは海外での対話に重要なことだ。日本人は何を考えているかわからないと思われがちだ。さらに多様性に配慮して年齢や男女、見た目のことは触れないなど海外でのコミュニケーションの取り方を身につける必要がある。そうすれば関西企業が世界に乗り出しやすくなる。

■関西企業が世界で活躍するには人事戦略が重要だ。

優秀で多様な人材をどう受け入れつつ育ててグローバルに展開するかが課題になる。グループ内で日本と海外の人材の行き来だけでなく、例えばドイツで採用した人材を米国に派遣するなど海外の中で人を動かすことが必要だ。

やりがいのある仕事をしてもらうことで海外でも優秀な人材を引きつけられる。そのためには海外拠点も含め会社全体で人材の評価・配置を考える機能が本社に必要だ。当社ではどの拠点にどんな人材がいて、どんなスキルを積み上げているのか評価する仕組みを取り入れている。

東洋炭素で米国初の営業拠点を立ち上げるなど海外展開を推し進めた

東洋炭素で米国初の営業拠点を立ち上げるなど海外展開を推し進めた

■米国の高校を卒業するなど海外生活は長い。豊かな米国を見て日本もビジネスで米国に肩を並べたいと思った。

東洋炭素への転職は社長だった義父からの誘いがきっかけだ。義父がお酒を飲みつつ黒鉛製品の魅力を熱っぽく語るのを聞いていて興味を持っていたところ、「米国に工場を立ち上げるから一緒にやらないか」と声をかけられた。半年ほど日本国内の工場で研修を受けた後、まずは営業拠点を立ち上げるために米シカゴ近くに赴任した。代理店に頼らず自分で顧客の声を聞き製品開発に役立てようという狙いだった。

最初は営業先と会う約束を取りつけるだけで一苦労だった。だが3~4回訪問するうちに打ち解けていった。名前を覚えてもらえるよう「ジェームス」と名乗るなど工夫し、しばらくして短く「ジム」とした。結果的に工場を造れるだけの顧客を見込めるようになり、工場の新設に行き着いた。

■元商社マンだった。大阪ではスポーツ衣料の開発を担当した。

三井物産に入社して4年目のとき、米テキサスから大阪に転勤してきた。スキーウエアなどを生産するため、関西の繊維メーカーから糸や生地を調達し、北陸などで縫製してもらう仕事だった。当時の繊維業界は気性の荒い人が多く、商社の中で「鉄鋼業界に次ぐ厳しさ」と言われていた。関西での生活は初めてで「まいど」を関西弁の抑揚で言えず、こなれない。縫製関連の業者など営業先から「東京のお坊ちゃんはこれだから困る」と皮肉られた。

注文を得るため出社後すぐに営業に出かけ、1日6~7社を回った。必死だったが、おかげで人を見る力が身についたと思う。きょうは長々と話しても聞かないだろうから結論から話そうとか、定期的に食事に行った方が懐に入れるかもしれないとか、相手の様子を見つつ、対応を使い分けたのもいい思い出だ。

(聞き手は梅国典)

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