創作落語を古典と並ぶ高みに 桂文枝、庶民描き300作
文化の風

関西タイムライン
2020/2/21 2:01
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大阪市24区のご当地落語にも取り組む

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桂文枝がライフワークとして取り組んできた創作落語が300作に到達する。50年以上作り続けた文枝作の演目は上方にとどまらず、東京の落語家にも広く受け継がれている。古典落語に比べて細く傍流だった創作・新作落語の道を果敢に押し広げた功績は大きい。

元気で口やかましい妻にあきれ、疲れ果てた夫が息子に夫婦のエピソードを語って聞かせる(「妻の旅行」)。息子が父の書棚から司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を抜き出し、学校に持っていくが実はその中身がエッチな本で……(「読書の時間」)。

文枝が創作した落語は、そんな庶民の日常を生き生きと描き多くの観客を楽しませてきた。

1966年に五代目桂文枝(当時は小文枝)に入門した文枝(当時は三枝)が古典から創作に軸足を移したのは80年代前半のこと。入門してすぐにテレビやラジオでお茶の間に浸透したタレントとしての三枝像が落語家の三枝像とうまくかみあわない。苦闘の末たどりついたのが、創作落語の世界だった。

81年にライブハウスを会場にして立ち上げた「創作落語の会」では第1回に桂南光(当時はべかこ)、桂文珍のほか、東京から文枝が大きな影響を受けた三遊亭円丈が参加。現在も天満天神繁昌亭に場所を移して定期的に開催するこの落語会をきっかけに、多くの上方落語家が新作の世界に足を踏み入れた。

文枝の誘いをきっかけに100作以上の新作を作ってきた笑福亭仁智は「(文枝以前の新作は)大阪の客が求めるギャグと落語の世界観がマッチせず、嘘っぽかった。(文枝が)そこをうまく融合させ、落語を知らなかった世代に『落語もおもろい』と思わせる形を作った」と振り返る。

文枝を中心に展開した創作・新作の潮流は上方落語界に多くの追随者を生み、「王道」たる古典と並走するもう一つの道となった。

第1回創作落語の会に出演した笑福亭福笑の弟子、笑福亭たまは文枝が新作に取り組んできた功績を「藤子不二雄、ドラえもんのよう」と表現する。「今新作に取り組んでいる世代はそれぞれの作品世界が細分化し、味わいを理解してくれる一部の客層に向けてしまいがち。(文枝は)子供からお年寄りまでお茶の間で楽しめる世界を作ってきたのがすごい」と見る。

文枝が創作落語で重視してきたのが「後世に残る普遍性」だ。落語は江戸から明治、戦前から戦後と大きな時代の変わり目を越えて大衆を楽しませてきた。「古典一辺倒では、その変化に対応できなかったはず。(そうした激動の時期に多くの演目を残した)三遊亭円朝、柳家金語楼らが時代に合う庶民の言葉を作ってきた」と文枝は振り返る。

そして、後世の落語家が時代に合わせて更新しながら作品を受け継ぎ、また次世代につないでいく。同様の使命を担うという思いが300本もの新作を書かせてきた。「落語はこうして残ってきたんだなと歴史を体験している感覚」と新作を書く喜びを語る。

一門、東西を問わず広く受け継がれ、天満天神繁昌亭で口演された演目の上位にも古典と並ぶ文枝作の落語。ただ、他の落語家がかける演目は「ギャグを入れやすく、笑いを取りやすい軽めのものが多い」と歯がゆさも感じるという。

「笑いは少なくても、深い世界を描いた作品が他にある」との思いもあり、「戦前から次世代まで続く大河ドラマのような演目も作ってみたい」と文枝は話す。かつては300本がゴールとしていたが、その先に次なる作品世界を切り開こうと創作は続く。300作を記念する落語会は3月4日になんばグランド花月で。(佐藤洋輔)

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