今日も走ろう(鏑木毅)

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成長期のスポーツ、枠はめず 転部が人生の転機に

2020/2/20 3:00
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私がランニングコースとしている道のりの途中にグラウンドがあり、時間帯により老若男女がさまざまな種目を楽しんでいる。小学生が野球に夢中になっているのを見ると、グラウンドで活躍する子よりもベンチの控え選手やベンチの外で応援している子らの方へ目が向いてしまう。おそらく自分が長らくそのような立場だったからだろうか。

昔通った中学校は当時、男子は全員が丸刈りと校則で決められている学校だった。そして体力増進のため基本的には全員が同じ運動部に3年間所属することになっていた。

運動が不得意だった私は、父親が熱烈なジャイアンツファンだったため、さして考えもせず野球部に入部した。その頃は真夏でも水を飲むことは決して許されなかったので、つらかった。スポーツ生理学の常識が定着した今ではまったく考えられないこととはいえ、青春時代を送った1980年代の地方の中学校ではそれが当たり前だった。

野球はダメでも走ることで輝くことができた(2015年台湾での100キロレースで2位)

野球はダメでも走ることで輝くことができた(2015年台湾での100キロレースで2位)

夏の終わりになると能力のある同級生はレギュラーメンバーとなり、2年生では多くがレギュラーとなった。ところが私は2年になっても練習で打席にさえろくに立たせてもらえず、後輩に追い越され、外野のさらに後方で球拾いばかりを続けることになった。

同級生の大半がグレーの公式ユニホームを着て誇らしげにしていても、ベンチ入りの控え選手にさえなれない私は全身真っ白の練習着しか許されない。背中にマジックで大きく名前が書かれているだけだ。

休日となると1日で何試合も行われるけれど、ずっとベンチの外で中腰のまま大きな声援を送り続けた。もちろん、野球は好きだった。だが自分がプレーできないという苦しみ、また細身できゃしゃな体の自分にはどんなに努力してもいかんともしがたい能力の差があるのを痛感するばかり。試合の応援の帰り道で一人になると、悔しくていつも涙を流していた。

次第に「自分はこれでいいのか」と悩み始め、両親には野球部を辞めて陸上部へ転部したいと相談した。すると、自分で最初に決めた道なのだから3年間我慢すべきだと諭された。部活動の顧問の先生からも一度入部した部活動は最後までやり遂げるべきだと説得もされた。それでも我慢できなくなり、とうとう野球部を辞めた。それまで従順でおとなしいといわれていた私のその時の行動は周囲ではちょっとした問題になったらしい。

結局、今振り返ればこの決断が自分を陸上競技やトレイルランニングへと導いてくれたことになり、人生の転機だったともいえる。確かに学生スポーツはやり遂げることに一定の意義があるとは思う。ただ、発育途中の中学生頃までは、ほかにも適性が見込める可能性が十分にあるのだから柔軟な対応も必要ではないだろうか。自分が一番輝けるものは何なのか見極めるべきだと思うし、指導者も子供の将来を見据えて広い心で指導してほしい。

少年少女のスポーツでレギュラー選手をうらやましそうに応援している子供たちを見るたびに、駆け寄って思わず自分の体験を話したくなる。

(プロトレイルランナー)

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