若者の発信力、世間動かせる NMB48・吉田朱里さん
未来像

■大阪を拠点とするアイドルグループ「NMB48」の人気メンバー・吉田朱里さん(23)。なんばの劇場での公演のみならず、近年はアパレルや化粧品ブランドのプロデュースにも才能を発揮する。
「ぶりっ子」と呼ばれるのが苦手で、アイドルには興味は薄かった。一方「学園もの」のドラマがきっかけでテレビの世界を夢見るようになり、雑誌モデルのような「きれいなお姉さん」に憧れを抱いた。母にお古の化粧品をもらい、見よう見まねでメークをしてみるような子どもだった。
NMB48のオーディションを受けたのは中2の時。小4から電車で小一時間かけて通っていた芸能スクールを高校受験のために辞め、日常に物足りなさを感じていたころだった。友人や母の「どうせ受からんからやってみ」の言葉に乗せられ、経験を積むくらいの軽い気持ちで応募した。
吉本新喜劇に出たり、任きょう映画を作ったり。NMB48の活動はいわゆるアイドルとはひと味違う路線を重視していた。個性を出すことを求められ、公演やテレビ番組で鍛えられたことは芸能界で実力を付ける上で大きかった。

■2016年に「ユーチューバー」としての活動を開始。現役アイドルがメークやヘアアレンジを指南する動画は既存のファン以外からも支持を集め、チャンネル登録者数は75万人を超えた。
髪の巻き方を紹介する短時間の「女子力動画」をツイッターに投稿したところ、これまでとは違うファンの反応に手応えがあった。長めの動画でより詳しく説明するために目を付けたのが、ユーチューブ。今のようにユーチューバーが認知される前のことだ。
「ユーチューバーになります」「おう、やれやれ」。15年末のNHK紅白歌合戦の楽屋で、事務所の社長が背中を押してくれた。ここまで話題を集めるとは思っていなかったが、活動6年目になり「これが成功しなければ芸能界はもう諦めよう」という意地も心のどこかにはあった。
カメラなどの機材は渡されたが、動画作りは全て自力。先輩の美容系ユーチューバーをツイッターで頼り、ロケ中にディレクターから編集のコツを学んだ。アイドル活動と並行して週1~3本の動画を投稿するのは、体力的にも精神的にも本当に大変だ。
それでも、自分が発した言葉でかわいくなる女の子、自信を持てる女の子が増えるのはうれしいし、モチベーションになる。関西弁でしゃべる親近感と、自分が良いと思うものを等身大で発信することで得られる信頼感を、これからも大切にしたい。
■17年には25年国際博覧会(大阪・関西万博)の誘致活動に携わり、19年の20カ国・地域首脳会議(G20大阪サミット)では公募したロゴマークの審査委員も務めた。
握手会では関西のファンのノリの良さに、地元の友達に会うような安心感を覚える。東京で仕事をすることも増えたが、笑い合って人が人を幸せにする温かさが関西の魅力だと感じる。
せっかく大阪で万博をやるなら、そうした「緩さ」も忘れないでほしい。世間の人は分かりやすいものを好み、堅苦しいものにはなびかない。SNSでの拡散なら年配の人より若い人の方が効果的なやり方を知っているし、展示内容や方法にも若者の意見を採り入れることでより興味を持ってもらえるのではないか。
逆に私たち若い世代は、誰にでも世間を動かせる力があることを知っておくべきだ。今や一般人でもユーチューバーになって100万人の登録者を狙える時代だ。自分の可能性を信じて一歩踏み出す勇気があれば、今よりもっと面白い生活を送れるかもしれないよ、と勧めたい。私自身がそうであったように。(聞き手は小安司馬)