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不正義を正す 2月を黒人歴史月間にした不世出の史家

ナショナルジオグラフィック日本版
歴史的な黒人の大学の1つ、米国ジョージア州アトランタのモアハウス大学で、マーティン・ルーサー・キング牧師の名を冠したチャペルの中を歩く新入生たち。同大学は奴隷制廃止から2年後の1867年、黒人男性の聖職者や教師を育成するために創設された(PHOTOGRAPH BY RUDDY ROYE, NAT GEO IMAGE COLLECTION)

20世紀初め、歴史家のカーター・G・ウッドソンは苛立ちを感じていた。黒人の功績に対して、世界が沈黙していたからだ。

人種差別がまかり通っていた当時の社会で、黒人は誤ったイメージを持たれ、その貢献は見過ごされていた。そうした中、ウッドソンは、黒人の豊かな歴史を世界に伝えようと精力的に活動し、後世に残る遺産を生み出した。現在も、米国で毎年2月に祝う「黒人歴史月間」だ。

米国の歴史家・教育者のカーター・ゴドウィン・ウッドソン(1875~1950年)。1910年代に撮影した肖像写真(PHOTOGRAPH BY HULTON ARCHIVE, GETTY)

ウッドソンの両親は元奴隷で、読み書きができず、彼自身もなかなか教育を受けられなかった。青春時代は、家族経営の農場や炭鉱で働き、学校へは時々行けるだけ。ようやく高校に通い始めた頃には20代になっていたが、国内外で勉学を続け、ハーバード大学で歴史学の博士号を取った。

ウッドソンは次第に、人種差別をする人たちは黒人の能力や向上心を誤解しており、これに対抗するには、黒人の貢献を世界がもっと理解する必要があると確信するようになった。「黒人は教育を受けてこなかった」と、ウッドソンは記している。「自分が許されていないあり方、働くこと以外のあり方については、ただ知っているというだけだった」

1915年、米国各地で奴隷解放50周年が祝われた中、ウッドソンは黒人生活歴史研究会を設立。現在のアフリカ系米国人生活歴史研究会(ASALH)の前身となった。また、黒人の歴史についての初めての展示「黒人の前進の展覧会」を催行した。さらに、わずかな資金と支援をもとに、ウッドソンと仲間たちは、黒人の歴史を扱う学術誌を創刊した。現在も続く「アフリカ系米国人の歴史ジャーナル」(The Journal of African American History)だ。公的な場でも私的な場でも、「黒人史はもっと記憶され、研究されるに値する」とウッドソンは論じた。

ワシントンD.C.にある国立アフリカ系米国人歴史文化博物館では、黒人の歴史と功績を示す多くの収蔵品を展示している。写真は、ミュージシャン、チャック・ベリーの「メイベリン」と名付けられたギター(PHOTOGRAPH BY GRANT CORNETT, NAT GEO IMAGE COLLECTION)

「演説に立つと、ウッドソンは豊富な知識で聴衆を圧倒した。アフリカの歴史に始まり、あらゆるアフリカ系米国人の歴史を網羅していた」。伝記作家のジャクリーン・ゴッギン氏は、著書の中でこう綴っている。「彼はその巧みな弁舌で、たびたび、聴衆にしびれるような興奮を与えた」

ウッドソンは、黒人の歴史と功績を広める方法を模索し続けた。そうした功績の中には、家畜の飼育や農業技術への貢献もあれば、アメリカ独立戦争の最初の死者と考えられるクリスパス・アタックスの革命運動もあった。

1920年、ウッドソンはアフリカ系の学生の社交クラブ「オメガ・プサイ・ファイ」のメンバーに、黒人文学と歴史を記念する1週間を設けるよう呼びかけた。ウッドソンはこの運動を「黒人歴史週間」と呼び、1926年には自ら引き継いで、毎年2月に祝う習慣を始めた。奴隷制廃止論者のフレデリック・ダグラスと、奴隷解放宣言を発したエイブラハム・リンカーン大統領の誕生月が2月だからだ。

この1週間に、教育者たちは黒人史を描く野外劇を上演し、黒人向け新聞は歴史に関する記事を載せ、地元の企業や商店は祝祭を後援し、参加した。「この週間は、歴史的偉業を称えるためだけの期間ではなかった」と述べているのは、歴史家のジェフリー・アーロン・スナイダー氏だ。「音楽、文学、美術など、同時代の黒人の芸術も大きく扱っていた」という。

ワシントンD.C.にある国立アフリカ系米国人歴史文化博物館では、黒人の歴史と功績を示す多くの収蔵品を展示している。写真は、人種隔離バスで席を立つことを拒否したローザ・パークスが、逮捕された当時、仕事で仕立てている途中だったレーヨンのドレス(PHOTOGRAPH BY GRANT CORNETT, NAT GEO IMAGE COLLECTION)

ウッドソンにとって、黒人史を広く伝えることには2つの目的があった。1つは黒人たちの誇りを育てること、もう1つは、黒人の功績を劣ったものとみなす人種差別主義者の主張に反論することだ。

「黒人に対する不正義を正当化するために」と、ウッドソンは1945年に書いている。「人々は……悪意あるうそを持ち出す。黒人は劣った人種であり、これまでに一度も文明を生み出したことがないと。……黒人歴史週間の期間中、注目を集めるのは世界のあらゆる場所の黒人だ。自由を奪われた時代ですらも、残された記録は蔑まれるべきでないことを、彼らは示している」

ウッドソンが唱えた黒人歴史週間は、年々盛り上がりを見せた。南部の各地では、学校制度が提供する質の低い教育に対抗して、南部の黒人に公民権を教えるフリーダム・スクールが開設された。人種差別的な内容を含むジム・クロウ法や人種隔離への反対が強まるにつれ、こうした代替の学校のカリキュラムには黒人の歴史が不可欠になった。ウッドソンが力を注いだ歴史教育は草の根レベルで広がり続け、公民権運動を勢いづけた。

ジョージア州アトランタのクラーク・アトランタ大学で、化学の授業を受ける学生たち。宇宙探査から医学まで、黒人科学者や研究者は、ほとんど全ての理系分野を進歩させてきた(PHOTOGRAPH BY NINA ROBINSON, NAT GEO IMAGE COLLECTION)

1950年にウッドソンが死去した後も、彼が始めた歴史週間は広く受け入れられていった。1975年には、フォード大統領が公式にメッセージを出し、米国の生活と文化に対する黒人の貢献をたたえ、歴史週間を定めることは「最も適切」だと述べた。翌年、ASALHは米国の建国200年に合わせ、歴史週間を2月の1カ月間に拡大。フォード大統領は、アフリカ系米国人の苦闘に敬意を表すると演説した。

その後の大統領も、黒人歴史月間に合わせたメッセージを毎年出し、1986年2月には、この月を全米黒人歴史月間とする法案が米国議会を通過した。1996年以降は、大統領が毎年この月間に関する声明を発表し、国全体で祝うことが習慣になった。すべては、黒人たちの素晴らしさに気づかないふりをすることを拒んだ、一人のひたむきな歴史家のおかげだ。

(文 Erin Blakemore、訳 高野夏美、日経ナショナル ジオグラフィック社)

[ナショナル ジオグラフィック 2020年2月1日付記事をもとに再構成]

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