奈良郊外に美の殿堂 大和文華館、物語る沿線開発史
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関西タイムライン
2020/2/5 18:13
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展示室につながる廊下

展示室につながる廊下

実業家のコレクションを元にしたミュージアムはあまたあるが、一企業が社業とは直接関係ない古美術品を集め公開している例は珍しいだろう。奈良の学園前といえば関西屈指のベッドタウン。近鉄グループホールディングス傘下の大和文華館(奈良市)がここに建ち、60年がたつ。

展示室は1室のみ。国宝4件、重要文化財31件を含む約2千件を所蔵する。松林や梅林を抜けてどこか和風の外観とモダンさを併せ持つ建物に至り、その時々でテーマを決めて展示された書画や工芸品を眺めれば、豊かな時間を過ごすことができる。

戦前から構想

開館は1960年だが、近鉄が財団を設立したのはその14年前。構想はさらに遡る戦前、後の近鉄の初代社長となる鉄道省出身の種田(おいた)虎雄が高名な美術史家、矢代幸雄に相談したことに始まる。

「自分は大和という日本第一の文化地区で電車を走らせ多少の利益を上げている。日本の国の文化に感謝の意を表したいので、何をしたらいいか考えてくれないか」

国の美術研究所(当時)の所長だった矢代は「顧問的嘱託」となり、美術館をつくることを提案。会社から一任され、小切手を渡されて収集を開始する。矢代は雑誌に寄せた手記で「(自分に一任した)種田さんは人の使い方がうまい。さもなければ、私があれほど人のために働くわけがない」旨を回想している。

周辺には住宅地が広がる

周辺には住宅地が広がる

種田はその後、亡くなるが歴代幹部が方針を受け継ぎ、矢代は人々の心を豊かにし、人生を楽しくする「美の殿堂」をつくる、と日本や東洋の古美術品を集めた。横浜の実業家、原富太郎(三渓)らの旧蔵品のほか、書画や彫刻、陶磁器など幅広い。浅野秀剛館長は「個人の趣味ではなく、グレードやスケールの面で展示品としてのバランスを考えたようだ」と話す。

住宅地に隣接

立地を選んだのは近鉄側だ。周囲に美しい自然が広がり、その美しさがなだれ込んでくるような美術館にしたい、との矢代の意向に応じたもので、近鉄奈良線沿線が選ばれた。帝塚山学園のために設置した学園前駅にほど近い建設地は、最古の人造池ともいわれる蛙股(かえるまた)池に囲まれた半島状の松山。しゃれた戸建てが並ぶ住宅地に隣接する。

50年に近鉄が第1回の分譲を始めた学園前住宅地はわずか10年で1千戸、人口5千人の規模に育ち、水道や道路、ゴルフ場などレジャー施設や商業施設も整いつつあった。松林が広がる丘陵地を「郊外都市」にする鉄道会社のまちづくりには勢いがあった。

だが時がたち、まちは高齢化し、空き家も増える。近鉄がグループ事業の見直しを進める中、戦前の大阪電気軌道時代から学園前駅の隣駅にあった「あやめ池遊園地」は2004年に閉鎖。「当初から非営利として位置づけられ、適正な規模だった」(浅野館長)大和文華館は残った。

地区の魅力を見直そうとする動きも出ている。同館など複数の場所に現代アートを展示する「学園前アートフェスタ」は昨秋で5回目。住民としてプロジェクトに関わる学園南地区自治連合会の広嶋嘉昭さんは「邸宅建築や風景を目当てに来る人も多い」と話す。

矢代が描いた大和文華館の未来は壮大だ。「東洋美を集積展観する一文化基地」。矢代の手記には、社業に貢献しないとの意見に対し、種田も「今に見ていたまえ、矢代さんの大和文華館へは世界中から人が見にやって来るよ」と言った、とするエピソードも紹介されている。「美の殿堂」が郊外のこの地にある意味を改めて考えたい。

(岡田直子)

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