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逆境に学んだコービー、皆が認める「世界一」選手に
スポーツライター 丹羽政善

(2/2ページ)
2020/2/3 3:00
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03年6月、コービーは膝の手術で訪れたコロラド州イーグル群にあるリゾートホテルで女性従業員をレイプしたとして告発されたのである。クリーンなイメージだっただけに、現場には大挙してメディアが押し寄せた。7月18日、正式に性的暴行罪で告発されると、コービーはその日にステイプルズ・センターでバネッサ夫人を伴って記者会見を開き、合意の上だったと無罪を訴えたが、その言葉は力を持たなかった。

デビューから3連覇ぐらいまでは、怖いもの知らず。自由に振る舞えば振る舞うほど、どこかであつれきを起こしていたが、絶大な人気が、それを許した。しかし、あの事件を境に彼がそれまで築き上げたものが音を立てて崩れた。

会見からおよそ2カ月半後、ホノルルでレーカーズのトレーニングキャンプが始まると、再び全米のメディアが、ハワイに集結した。当時、数年おきに行われていたレーカーズのハワイキャンプは、土地柄か、のんびりとした時間が流れ、記者の数も少なく、取材をするには絶好の機会だった。

ところが、当然といえば当然だが、その年は違った。記憶している限り、レーカーズは一度だけ、コービーの取材機会を設けている。しかし、会見ではなく囲み取材だったため、至近距離でコービーにテレビカメラが向けられ、カメラのフラッシュがたかれる。

責め立てるような質問が続く中で、彼が消え入るような声で漏らした言葉が、今も耳に残る。「これからどうなるのか、恐ろしい」。人懐っこい笑みは、表情のどこを探してもなかった。

あのとき、チームメートはそんな様子を遠巻きに見つめていた。冷ややか、というほどでもなかったが、来るときもコービーはチャーター機に乗っておらず、コービー自身が距離をとっているようにもみえた。膝のリハビリのため、練習も別メニュー。物理的にコービーがチームメートと絡む場面が限られた。

残留するもチーム成績低迷

レーカーズはあのシーズン、カール・マローン、ゲイリー・ペイトンというスター選手を加え、ドリームチームを作った。絶対的な優勝候補筆頭だったものの、ファイナルでは、地味ながら質の高いチームを作り上げたピストンズに完敗している。

解体は必然で、すでに触れたようにシャックがヒートへ移籍したのは、レーカーズがフリーエージェント(FA)だったコービーと再契約する見通しとなったことと無関係ではないが、一方でコービーはクリッパーズとの契約を考えていた。

それを止めたのは、当時、グリズリーズのGMだったウエストだったというのは、冒頭で紹介したテレビ番組で、ウエスト本人が初めて明かしている。そのときのクリッパーズのオーナーは、その後、リーグから追放されるドナルド・スターリング。ウエストはスターリングの本性を知っていたのである。

そうしてコービーは残留したが、シャックとHCのジャクソンだけでなく、マローンやペイトンも去ったレーカーズは翌シーズン、コービーがNBAに入ってから初めてプレーオフを逃している。その後、2シーズンはプレーオフに出場したが、いずれも1回戦負け。対照的にレイカーズを去ったシャックは、移籍したヒートで05~06年シーズンに再びファイナルを制覇している。

コービーがいなくても勝てた、という見方はさらにコービーを傷つけ、06~07年シーズンが終わると、コービーは公然とチームのフロントを批判し、トレードを要求するに至っている。

07年10月。この年のキャンプもハワイで行われたが、直前までコービーが参加するかどうか分からなかった。おそらく、あのときキャンプをボイコットしてトレードを勝ち取っていたとしたら、今回の死で、あれだけ多くの人が悲しみにくれることはなかったのではないか。レーカーズファンにさえ、アンチ・コービーがいたのである。

20代前半で3連覇した頃と比べれば、あまりにも対照的なキャリアとなったが、それで終わらなかった。コービーの、これからも長く語り継がれるであろうレガシーは、むしろそこから始まっている。

ダンクシュートを決めるレーカーズのブライアント氏(09年2月)=AP

ダンクシュートを決めるレーカーズのブライアント氏(09年2月)=AP

07~08年シーズンは久々にファイナルに出場。その時はセルティックスに敗れたものの、翌08~09年シーズンもファイナルに出場すると、マジックを下してコービー自身、4度目のタイトルを手にする。さらに翌年、2年前に敗れたセルティックスに雪辱を果たし、連覇。コービーをめぐる評価は一変した。

何があったのか。

08年2月のオールスターで久々に話ができた。彼はその年の北京五輪に米国代表として参加することを明らかにしていたが、その意を聞いた。

背景について簡単に触れると、米国代表はその頃、圧倒的な戦力を誇りながら、国際試合で勝てなくなっていた。04年のアテネ五輪では、グループ内で2敗。予選こそ突破したが、準決勝でアルゼンチンに敗れると、屈辱の銅メダルに終わっている。雪辱を期した06年に日本で行われた世界選手権でも準決勝でギリシャに敗れ3位だった。

重なる米代表と自身の境遇

コービーはいずれの大会にも不参加だったが、早々に代表に名乗りを上げたのはなぜか。すると彼は「アメリカが最強だということを、改めて証明しなければいけないと思う」とその理由を説明した。確かにあの2大会では負けたが、米国が弱いとは誰も思っていないのではと向けたが、コービーは首を横に振った。

「いや、相手がもう怖がっていない。失うものがない、という気持ちで向かってくるし、こっちは逆に負けてはいけないという立場だから、気持ちが守りに入っている」

さらには、スペインやアルゼンチンの選手が普通にNBAで活躍するようになって、「実力差も縮まっている」と話し、続けている。「スペイン(06年世界選手権優勝)やアルゼンチン(04年五輪優勝)は、ジュニア時代から一緒にプレーしているから、その点でも、彼らにはアドバンテージもある」

だからこそ勝って威信回復を図りたい、というのがロジックだったが、もちろん、理由はそれだけにとどまらなかった。米国代表の置かれた状況は、彼自身の境遇そのもの。よって、「自分自身についても同じことがいえるのか?」と問うと、コービーはうなずいている。

「その通り。自分が証明しなければならないことも残っている」

もはや昔のようにジョークを交えた会話にはならなかったが、彼の成長を目の当たりにした。

当時のレーカーズは他と比べて圧倒的な戦力を有していたわけではない。だが、コービーを中心にまとまり、30代になった彼のプレーは円熟味を増し、逆境に学んだ彼は誰もが一目置く存在になっていた。

若い頃は、俺が世界一のバスケット選手だと認めろと迫った。その原動力が20代前半で成し遂げた3連覇だとしたら、その意識が、目的ではなく結果に変わったのが30代前半の連覇だった。そうなって、アンチさえ、振り向いた。

レーカーズの本拠地周辺で、事故死したブライアント氏を追悼する市民(1月26日、米ロサンゼルス)=共同

レーカーズの本拠地周辺で、事故死したブライアント氏を追悼する市民(1月26日、米ロサンゼルス)=共同

10~11年シーズン以降はほとんどコービーもレーカーズも取材していないので、何かを書ける立場にはないが、最後に彼の試合を取材したのは、16年3月23日のこと。すでに引退が決まっており、敵地のフェニックスにもコービーのファンがあふれていたが、正直、衰えたという印象は持たなかった。まだ37歳。あと2~3年はプレーできるんじゃないかとも映った。

しかし、もう限界だったのかもしれない。試合後、あいさつをしようとロッカーへ行くと、コービーはガラスで仕切られたトレーナールームにいた。そのときの光景は今も目に焼き付いている。

1月に右肩の古傷を再発させていたが、右肩はアイシングで固定され、両膝、両足首にも氷が巻かれたその姿は、かろうじてコートに立っている――そんな現実を伝えていた。

00年にペイサーズとの間でファイナルが行われた時、コービーは第2戦で左足首を捻挫し、第3戦を欠場した。重症だったが、第4戦で復帰すると、シャックのファウルアウト後のチームを支え、オーバータイムでの勝利に貢献した。

試合後、コービーはこう言っている。「21歳なんで、回復が早いんだ。まだ若い、若いって、いろいろ言われるけど、こんなに若くて得をしたことはなかった」

そんな彼が最後は、満身創痍(そうい)。時計の針は確実に進んでいたのである。

結局、治療に時間がかかり、また、あまりにも多くのメディアが彼を待っていたので、あいさつを諦めてロッカーを出た。すると、廊下で相手サンズのブランドン・ナイトがスニーカーを持って、待っていた。おそらくコービーにサインをもらおうと出待ちしていたのだろう。

あのあとナイトは、かなり待たされたはずだが、コービーが出てきた瞬間、ドキドキしながら、歩み寄ったのではないか。97年のオールスターでコービーがジョーダンの姿を見つけ、目を輝かせたときのように。

(敬称略)

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