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逆境に学んだコービー、皆が認める「世界一」選手に
スポーツライター 丹羽政善

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2020/2/3 3:00
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テレビ出演したシャキール・オニールは、26日に事故死したコービー・ブライアントの思い出を語り始めると、大粒の涙が頬をつたい始めたにもかかわらず、それを拭うことなく話を続けた。

コービーをトレードで獲得したときのレーカーズ・ゼネラルマネジャー(GM)で、米プロバスケットボールNBAのロゴのモデルともなっているジェリー・ウエストも同じ番組に出演すると、声をつまらせ、言葉が出なくなった。

彼らには、どんなコービーの表情がよみがえっていたのだろう。うれしいときは笑みを、怒っているときは怒りを、悲しいときは涙を。感情を殺してプレーするアスリートは少なくないが、コービーは逆。喜怒哀楽を隠さなかった。

10年のNBAファイナルで記者会見に臨むブライアント氏

10年のNBAファイナルで記者会見に臨むブライアント氏

そのうちの一つ、飾らない彼の笑みに初めて接したのは、1997年にクリーブランドで行われたオールスターゲーム2日前のインタビュー・セッションでだった。

その年、新人だったコービーは「ルーキーチャレンジ」という、オールスターのイベントに出場。参加者は、オールスター選手も含めて全員がホテルの大広間に集まり、指定されたテーブルでメディアの取材を受けるのが恒例で、本戦以外のイベントに出場する選手の取材機会が先に設けられ、その後、オールスターのメンバーと入れ替わる、というのがパターンだった。

マイケル・ジョーダンの周りには常に二重、三重の人垣ができ、数年経つと、コービーも同じようにメディアの輪に埋もれるようになるが、当時はまだ、普段の取材でも1対1で話を聞くことは難しくなかった。

あのときも終盤になると、コービーは一人、テーブルで手持ち無沙汰にしていた。「少し話を聞かせてもらってもいい?」と話しかけると、「もちろん、もちろん!」とにっこり。ここにどうぞ、とでも言わんばかりに、空いている椅子をジェスチャーで勧めてくれた。

エピソードを面白おかしく

どういう流れでそんな話になったのかは記憶にない。しかし彼は、高校の時のあるエピソードを面白おかしく話し始めた。

「ある試合後、帰ろうと思って自分の車に戻ったら、フロントガラスとワイパーの間になにか挟まっていたんだ。何だと思う?」

駐車違反の切符か何か?

「いや、だって高校の駐車場だもん」

パーティーのチラシとか?

「それも違う」

じゃあ……?

「最初、暗かったから、気づかなかったんだ。座ってエンジンをかけようと思ったら、何かが挟まっていた。外に出て確認したら、女の子の名前と電話番号が書いてあった。裏を見たらなんと、ヌード写真だった(笑)」

その女性の?

「多分、そうなんじゃないかな。電話してって書いてあったよ」

電話したの?

「まさか!」

もう、その頃からストーリーテラーとしての資質があった。計算のない接し方にも、魅了された。

その後も名前の由来など話は続いたが、やがてコービーが、ソワソワし始める。視線が定まらない。どうしたんだろうと、コービーが見ている方に顔を向けると、ちょうどオールスターゲームに出場する選手らが、会場に入ってきたところだった。

「うわぁ、ドキドキする」。コービーはすっかり、一人のバスケットファンになっていた。無理もない。部屋に貼られたポスターの選手が、すぐそこを歩いている。誰だって、気もそぞろになる。

胃の中にチョウがいる感じ?と聞くと、「そう! まさにそんな感じ」とコービー。

「butterflies in my stomach(胃の中にチョウがいる)」というのは、あこがれの人を前にしてドキドキしている――そんな緊張感の比喩表現だが、そうなると、もう話を聞くどころではなくなった。そもそも、オールスターの選手が現れたということは、ルーキーに話を聞く時間の終了でもあったのでレコーダーを止めると、コービーは「インタビューの途中だったのに申し訳ない」と謝って立ち上がった。

壮観な光景を一緒に眺めながら、「この中だったら、誰に話を聞きたい?」と問うと、間髪入れずに「マイケル!」と答えたコービーは近くを横切ったジョーダンから、視線を動かそうとしなかった。

飾らない笑顔も魅力の一つだったブライアント氏

飾らない笑顔も魅力の一つだったブライアント氏

筆者は当時、米インディアナ州に住んでおり、地元ペイサーズというより相手チームを中心に取材をしていた。遠征に帯同する相手チームの番記者は多くて2~3人。インディアナポリスは地元メディアも少なく、そうすると、反比例してロッカーにいる選手が増えるのが常なので、試合前の取材がしやすかった。人気チームだったレーカーズも例外ではなく、シャック(シャキール・オニール)でさえ、1人でロッカーにいることが多かった。

もっともそれはそれで、厄介なときもあった。97年3月のこと。試合前、レーカーズのロッカーへ行くと、一番奥にシャックが陣取っており、それはまるで牢(ろう)名主のようだった。ロッカーの入り口でコービーがトレーニングから帰ってくるのを待っていると、手招きされた。

「俺に話を聞きに来たのか? それともコービーに話を聞きに来たのか?」

そこでコービーとは言えないので、「シャキールさんです」といって会話が始まったが、取材というより雑談。そもそもシャックが、いろんな話を聞いてくる。

「日本でもヒップホップがはやっているはずだけれど、日本語でラップするのか?」

もちろん、と応じると、「今度、CDを聞かせてくれないか?」。

それで後日、シャックにCDではなくカセットテープを渡したこともあったが、たわいもない話をしていると、コービーが戻ってくる。それを横目で捉えたのをシャックは見逃さなかった。

「コービーと話すことを許可する」

レーカーズの同僚オニール氏(左)と談笑するブライアント氏(03年4月)=AP

レーカーズの同僚オニール氏(左)と談笑するブライアント氏(03年4月)=AP

彼もまた憎めなかったが、ゆっくりとコービーの元へ向かい、「少し時間ある?」と聞くと、オールスターのときに話したのを覚えていたのか、二つ返事でまた、横にあった椅子を勧めてくれた。1年目は一事が万事、そんな調子だった。

翌年は2月の終わりにレーカーズが遠征でインディアナを訪れた。そのときもコービーに話を聞き、「マイケル(・ジョーダン)が引退する前に、ブルズに勝って、タイトルを獲得したい」という話を聞いた。「それが僕らの役目だと思う」

ただ、それが実現することはなかった。当時のレーカーズはプレーオフには駒を進めるも、NBAファイナルにたどり着くことはなく、その一因として、コービーとシャックの確執が挙げられるようにもなっていた。

確かに1年で空気が変わっていた。

その取材の時、試合後に近くのレストランで食事をしていると、レーカーズの選手らがそろって入ってきた。こっちに気づいたシャックがやってきて、店側がテーブルを用意するまで雑談をしたが、一行の中にコービーの姿はなかった。

スタメンの一人で、ディフェンスも非凡だったエディ・ジョーンズとトイレで一緒になった時、「コービーは?」と聞くと、「あいつはまだ21歳になっていないから」と答えたが、そこはバーではない。ファミリーレストランである。お酒は飲めなくても食事なら問題ないはずだが、コービーが遅れてやってくることもなかった。

しかし99年、ブルズ時代に6度の優勝を誇るフィル・ジャクソンがヘッドコーチ(HC)に就任すると、レーカーズは99~2000年シーズンから3連覇を達成する。結果としてコービーとシャックの仲は改善しているとも映ったが、それはチームが勝っていることで、かろうじてパワーバランスが保たれていただけのようだった。

ボールを追いかけ観客席に飛び込むブライアント氏(01年12月)=AP

ボールを追いかけ観客席に飛び込むブライアント氏(01年12月)=AP

もっともそれを肌で感じることは難しかった。その3連覇でコービーを取り巻く環境はすっかり変化を遂げた。もう1対1で話を聞くことは難しくなり、取材陣みんながコービーとの時間を狙っている。試合前、彼をロッカーで見かけることも少なくなった。

それでも、なんとかインタビューができないかと、地元メディアでさえほとんど行かない、ロサンゼルスから車で2時間以上かかるベーカーズ・フィールドという砂漠の街で行われたプレシーズンゲームに足を延ばしたこともあった。

記者が少ないのは狙い通りだったが、そのときもシャックに捕まった。ロッカーに入った瞬間、暇そうにしていたシャックと目が合い、また手招きをされる。もっともあの時も、コービーが試合前のロッカーに現れることはなく、それもまた、チームメートの反感を買う一因となっていたのかもしれない。

チーム解体前夜に起きた事件

やがてついにバランスが崩れる。シャックは結局、03~04年シーズンが終わると、契約延長を求めたがかなわず、ヒートへ移籍した。HCのジャクソンもチームを去り、04年に出版した「The Last Season: A Team in Search of Its Soul」という本では、「コービーはコーチできない」と批判した。

事件が起きたのは、そんなチーム解体前夜のことだ。

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