端役の人形 主人公に 文楽の桐竹勘十郎、自作を再演
文化の風

関西タイムライン
2020/1/31 2:01
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30代で書き下ろした作品。人形遣いによる原作は珍しい

30代で書き下ろした作品。人形遣いによる原作は珍しい

文楽人形遣いの桐竹勘十郎が2月29日、ロームシアター京都(京都市)で1日限り異色の人形浄瑠璃文楽の上演に挑む。普段は端役しか回ってこない1人遣いの人形が主人公となる物語で、勘十郎自身が30代の頃に書き下ろした。新作の少ない文楽演目のなかで、人形遣いによる原作も珍しいが、3人遣いの人形が出てこないのも異例。

『端模様夢路門松(つめもようゆめじのかどまつ)』という。心中ものの『染模様妹背門松(そめもよういもせのかどまつ)』をもじったタイトルで、国立文楽劇場(大阪市)が開館した1984年に初演。上演は36年ぶりとなる。

有名場面を再現

いつもは番卒や家来衆などしか演じない端(つめ)人形が主人公。セリフもなく、あっても「申し上げます~~」と用件だけ述べて消えるような端役だ。端役だから、"詰(つめ)"人形と書くこともあるが、"端"人形の字が似合う。主遣い、左遣い、足遣いの3人が息を合わせて細やかな動きを作る3人遣いの人形に比べて、感情を出さないのが端人形のオキテだ。

そんな端役の人形が「曲輪●(くるわぶんしょう、●は文のみぎに章)の伊左衛門をまねたり「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)」の団七を夢見たりと、舞台裏で主役になりきる。勘当された若旦那や侠気(おとこぎ)に駆られる魚売りを、端人形がおなじみの名場面に再現するのがファンには見どころの一つ。

「端人形といえば人形遣いの間では誰がどれを取ってもよいし、構え方も自由。しかし師匠クラスが遣うと、途端に生き生きと人間くさくなる。もともと1人遣いだけでスタートした人形浄瑠璃。端人形だけの芝居を作れないか、と思ったのが発端」と勘十郎が創作の経緯を語る。

主遣いを夢見て

書き下ろしたのは勘十郎を襲名する前の吉田簔太郎時代。人形遣いとしてようやく足遣いから左遣いに進んだ頃で、一人前とされる主遣いにはあと10年という立ち位置にあった。人形遣いの若造が書き下ろす実験作に、大道具を新たに作るような余裕は当然、ない。根が創意工夫好きなのが幸いし、制約を逆手に、出来合いの大道具を転用できるような筋を考えた。

「勉強して吸収するものが多く忙しかった下積み時代に、よくあんなものが書けた。まさに若気の至り。いずれ主遣いを夢見ていた自分を端人形に重ねていたかもしれない」

「初演の時は無謀にも語りを豊竹嶋太夫(人間国宝で現在は引退)兄さんにお願いした。『わしにか?』と面食らいながらも引き受けてくださった」。今回は語りを竹本碩(ひろ)太夫が、三味線は当時作曲を手掛けた鶴澤清介とほか2人が勤める。

もう一つ演目があり、こちらは「木下蔭狭間合戦(このしたかげはざまがっせん)『竹中砦(とりで)の段』」。桶狭間の戦いを背景にした時代物で、人形浄瑠璃としては1934年以来、上演が途絶えていた。86年ぶりの上演なので、文楽界にさえ生を見た人はもういない。かろうじて残っている写真を頼りに、舞台を再現する。

公演の2月29日の翌日が勘十郎67歳の誕生日。父だった先代勘十郎の享年66歳を超える。最近「後進の育成」をとみに意識するようになった。「たった1日きりの上演のために配役ごとに頭を割り当て、どんな衣装を着せるかと、あれこれ労力はかかる。しかしいったん上演すれば、記録が残り、再び上演するときの参考資料になる」

幸運にも2003年5月に太夫と三味線だけによる素浄瑠璃で復曲されており、三味線はその時の鶴澤清二郎、今の鶴澤藤蔵が担当する。太夫は竹本錣(しころ)太夫。

この日の演目選びを監修した木ノ下裕一・木ノ下歌舞伎主宰は「入門者と通の両方に喜んでもらえる作品と、一方で上演が途絶えてしまった古典の再演。いずれも見応えを期待してほしい」と語っている。

(編集委員 岡松卓也)

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