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品質のジャパンブランド守る 象印社長 市川典男さん

未来像

■魔法瓶はかつてガラスメーカーが集積する大阪の地場産業だった。素材や用途が変わり、現在は一定の温度を長時間保つ水筒として中国をはじめとしたアジア地域で人気が高い。象印マホービン社長の市川典男さん(61)は高品質で知られる「ジャパンブランド」が持つ可能性を強調する。

アジアではやはり「日本企業=高品質」という好印象が浸透していると感じる。あらゆる分野で安価な中国や韓国などアジア企業の製品が広がるいまこそ、日本企業にしかできない製品を打ち出すべきだ。

例えば、韓国のサムスングループは発展途上国に早くから進出し、経済状況に合わせたローコスト製品を投入することで一躍、世界的なブランドとなった。日本企業の考え方は違う。国内で販売できないような品質の商品は海外に出さない。ものづくりの倫理観のようなもので、渋沢栄一の時代から脈々と受け継がれてきた。だからこそ日本製品は「安心」というブランドができた。

最近では日本の家電メーカーが中韓勢に押されている。やはり世界で戦っていくためには、まず国内で首位にならなければだめだ。どんな業界でも、母国で1位になれないから海外に出ようというのは間違っている。米国のある経営者に言われた言葉で、いまでも大切にしている。

ただ、国内首位になるのも容易ではない。我々が海外に市場を求めるのと同じように、海外メーカーも日本に進出してきている。当社のライバルは仏ティファールであり、伊デロンギだ。彼らは当社にない発想でものをつくっている。日本企業との競争よりも厳しい。

■かつて社長だった父親の背中を見て育った。象印はまだ小さな会社だった。

5歳の頃まで自宅は工場の敷地内にあった。すぐそばには社員寮もあった。中学や高校を卒業後、集団就職で大阪にやってきた工員さんが住んでいた。休みの日曜日には私と遊んでくれたことを覚えている。

創業者である祖父、市川銀三郎は私が生まれた時、既に亡くなっていた。いまの象印は父が戦後、一から立て直してできた。昔ながらの人で、家の中でも仕事や戦争の話ばかりしていた。

高度経済成長期まっただ中の1970年に初の電子ジャーを発売した。最先端の半導体を使い、炊いたご飯を長時間保温できるという商品だった。炊飯器はまだなかった。この頃から象印は電気製品を中心に扱うようになり、急成長していった。

だが同時に、父は病気がちになっていった。日本経済が大きく成長する中、いくら仕事をしても追いつかない時代だった。ストレスによる飲酒と喫煙で体調を崩した。どちらかというと、父の苦労する姿を見ながら育ったように思う。

■関西の先輩経営者に教わり、いまがある。

家業に近いような状態だったので、自分も当然のように会社に入った。42歳と若くして社長に就任した私がいままでやってこられたのは関西企業のオーナー同士のつながりがあったからだ。

先輩経営者からは様々なことを教えてもらった。武田薬品工業の元会長、武田国男さんにはこんなことを言われた。「改革とはただ変えればいいわけではない。変えるべきことと、変えてはいけないことを見極める必要がある」。とても印象に残り、私の座右の銘になっている。

当社は2018年に100周年を迎えた。今後、新しい事業に挑戦することもあるだろう。何をやるにしても「象印らしい」事業である必要がある。当社には「暮らしをつくる」という使命がある。それを見失って新しい事業に挑戦しても駄目だ。象印ブランドに対する信頼を失うことになる。

(聞き手は渡辺夏奈)

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