五輪の年待ち望んだ息子 バス事故4年、対策願う父

2020/1/15 10:11
保存
共有
印刷
その他

「たぶん東京近辺で就職してたんかな。東京オリンピックをえらい楽しみにしていたので」。2016年1月に長野県軽井沢町で起きたスキーバス事故は15日で4年となった。次男の寛さん(当時19)を亡くした田原義則さん(54)夫妻にとって、悲しさ、悔しさは変わらない。社会人として活躍していたであろう姿を思い描き、再発防止の活動を続けている。

長野県軽井沢町のスキーバス転落事故で亡くなった次男寛さんの墓に手を合わせる田原義則さん(11日、京都府舞鶴市)=共同

1月11日。山に囲まれた舞鶴湾が見える、京都府舞鶴市の丘。暖かな日差しが照らす中、夫妻は寛さんの墓を訪れた。祖母が育てた花が飾られた中に青い帽子をかぶった寛さんの写真を置き、大好物のイチゴを供えて静かに手を合わせた。

あの日の早朝、大阪府吹田市の自宅で、妻の由起子さん(53)はテレビで事故を知った。警察から「遺体を確認に」との電話があり、夫妻で軽井沢に。ひつぎの中の息子と対面した。「傷がほとんどなく、眠っているような顔。冷たかったけど、温めたら起きるんかなと思った」と義則さん。由起子さんは「起きて、起きて」と叫んでいた。

首都大学東京の2年生で、社会福祉を学び、夢や希望に満ちあふれていた。由起子さんは「友達もたくさんできて、誰よりも楽しんでいた」と、当時の思いを話すと今も涙が止まらない。今年は東京五輪。「万が一チケットがとれたら……」と、明るく話題にしていたことが思い出される。

義則さんは毎朝自宅の仏壇に朝食を供え、寛さんの写真がたくさん張られた4枚のボードを部屋に立てかける。大学の友人が送ってくれた。

義則さんらは遺族会をつくり、国土交通省と意見交換をし、再発防止に向けて活動を続けてきた。昨年11月には、警察庁運転免許課も初めて訪問。技術が不十分な運転手による免許更新を防ぐため、適性検査実施などの制度作りを要望した。

実を結んだ内容もあるが、まだ十分ではないとの思いがあり、今後も地道に活動を続ける。「寛の姿を思い出し、モチベーションに変えている」。事故を繰り返させないため、背中を押してもらっている気がしている。〔共同〕

▼軽井沢スキーバス転落事故 2016年1月15日午前1時50分ごろ、長野県軽井沢町の国道18号碓氷バイパスで、東京を出発し長野県内のスキー場に向かっていたツアーの大型バスが道路脇に転落。大学生13人と運転手2人の計15人が死亡、26人が重軽傷を負った。国土交通省の事業用自動車事故調査委員会の報告書によると、運転手がほとんどブレーキを使わずに坂を下りたため速度が上がり、コントロールを失ったことが原因とみられている。
保存
共有
印刷
その他

電子版トップ



[PR]