大ヒット「バスチー」 本場バスク地方ではバルの名物

毎年恒例の日経MJヒット商品番付。昨年12月3日に下期の番付を眺めていて、思わず「しまった!」の一言をもらしてしまった。西の前頭に「バスチー」があるではないか。ここまで話題になる前にその魅力を教えてくれていた人がいたのに、後れを取ってしまった。
約2年前の2017年12月28日、「グルメクラブ」でコーンブレッドの話を書いた(「コーンブレッド、米建国の歴史映す 感謝祭の定番料理」)。そのとき取材で話をうかがった一人が洋菓子店「オーブン・ミトン」(東京・小金井)のパティシエの小嶋ルミさんだが、取材を終えて辞去する折に彼女は教えてくれたのだ。「このチーズケーキは今のうちに取り上げておくべきよ」と。
「バル風チーズケーキ」。昨今話題の「バスク風チーズケーキ」「バスチー」に当たるものを、当時「オーブン・ミトン」ではその名で販売していた。気にはなりながら、私の勘の鈍さでそのままになってしまっていた。
そうこうしているうちに、都内に専門店が登場。さらに、19年3月に「ローソン」が「BASCHEE(バスチー)」として売り出したところ、発売から3日で100万個を販売するというモンスター商品となった。
遅きに失するにも程があるとは思いながら、小嶋さんに改めて連絡を取って、あのときなぜヒットすると感じたのかを聞きにうかがった。いや、遅まきながらでも尋ねてみるもの。小嶋さんは昨夏、本場バスク地方のサン・セバスチャンを再訪していて、そのときの見聞も聞かせてくれた。

小嶋さんが最初に「バル風チーズケーキ」を焼いたのは13年のクリスマスだったという。その半年前にサン・セバスチャンを訪ね、いくつものレストラン、バル、菓子店を見て回った。バスク風チーズケーキ発祥店とされるバル「ラ・ヴィーニャ」のチーズケーキはすでにガイドブックにも載っていて有名だったが、見て、食べてみて、「これは日本でも当たる」と直感したという。

「外はカラメル味で、中はとろんとしている。とにかく印象に残る味」
しかも、長年洋菓子に携わってきて、「チーズケーキは世界中のみんなが好きなお菓子。そしてとくに、日本人はチーズケーキが大好き。さらに、男の人もチーズケーキは好き」という実感があるため、そこに新味が登場したことは見逃せないことだった。
ただし、「日本人には甘すぎるとも感じた」。それでも、焦げ目のある表面とレアっぽさを感じさせる中心とのコントラストは魅力的だった。
実際に作るきっかけになったのは、製菓材料専門店からウェブサイトで紹介するための新作のルセット(レシピ)提供を求められたことから。このとき、サン・セバスチャンを案内してくれた現地在住で地域の食事情に精通している女性がそこで教わって記したレシピをベースに作った。
ただ、このレシピが「本当にこれで焼けるのかなと思った」というほど、一般的な製菓の常識を超えていた。ほとんどがクリームチーズと砂糖で、小麦粉はつなぎ程度にしか使わない。もちろん、それこそがこの菓子の魅力の源泉なのだが、実際に焼くには工夫がいる。また、日本でウケる味に修正も必要と感じた。

「まず、コクを出したかったので、全卵と卵黄を足した。それから、オリジナルのレシピではやはり甘すぎると感じたので、砂糖を減らそうと考えた。ところが、減らしすぎると表面にカラメルがうまくできない」
裏技はある。製菓用の粉末のカラメルというものがあり、それを表面に散らして焼けば、本体の砂糖を減らしても表面にカラメル層を作ることはできる。高温で焦げやすいグラシン紙のカップを使って1人前サイズで小さく焼くには有効な手だ。しかし、菓子職人としてその選択肢はない。
結局、試行錯誤の末、焼き方の工夫で突破口を開いた。
「薄いとうまくいかないので、まず厚みを出す。そしてまず高温で焼き始めて、一瞬膨らんでから温度を下げる。そうすると表面にカラメルができて、中はとろんとした状態に仕上げることができる」
そうして生まれた小嶋式バル風チーズケーキは、地域密着の店で着々とファンを増やしていった。

さて、「バスチー」が日本のコンビニスイーツとして大旋風を巻き起こしているなか、19年夏に再訪したサン・セバスチャンの「バスク風チーズケーキ」事情はどうだったろうか。
「このタイプのチーズケーキを出している店が増えていた。そしてどこも人気で、売り切れが多い。ただ、現地の人に食べられているというよりも、旅行者に人気の商品だと感じた」
元祖「ラ・ヴィーニャ」のそれの味は変わらなかっただろうか。写真では皿に塗りつけるように盛られているが。
「どういうわけかこういう風に出してくる。味は、前よりも甘さを抑えていると感じた。お客の好みに合わせて変えてきているのだろうなと感じた」
ちなみに、「現地では『バスク風チーズケーキ』ではなく『サン・セバスチャン・チーズケーキ』と呼んでいる店が多かった」という。
ところで、小嶋さんはなぜ「バスク風チーズケーキ」ではなく「バル風チーズケーキ」という名にしたのか? それは、「バスク風」というよりも「ラ・ヴィーニャ」というバルの名物だと受け止めたからだったようだ。

「バスク地方のお菓子というと、いちばん有名なのはパステル・バスコというお菓子。でも、これは素朴な焼き菓子で、観光客の誰にも受けるものではないかもしれない。それに対して、今、美食の街として世界中から観光客が集まるなか、世界中の人に受ける新しいものとして、このチーズケーキは作られたのだと思う」
小嶋さんがそう感じる最大の理由は、その主たる材料による。「ヨーロッパのお菓子でクリームチーズをメインに使うものというのはほとんどない」からだ。
クリームチーズのブランドは米国産「フィラデルフィア」とフランス産「Kiri」が有名だが、後者は1966年の発売である一方、前者は1800年代の発売であり、「フィラデルフィア」陣営はクリームチーズは米国発祥と主張している。ヨーロッパに根付いていた食材というよりも、新世界から来た新しい食材に数えられそうだ。それをたっぷりと使う菓子は、「バスク風」というよりも「サン・セバスチャン風」に違いない。
サン・セバスチャンはバスク地方の都市というだけでなく、欧州文化首都に選定された文化行事の多い都市として世界から多くの人々が訪れる都市である。そしてミシュランガイドの星付きレストランが多い街としても知られる。そのような土地柄に、伝統的な食だけでなく、次々に新しい味覚も生み出され、世界の人を魅了し続ける風土があるのだろう。
「バスク風チーズケーキ」は、サン・セバスチャンの、そうしたコスモポリタンな新しい味覚を象徴するものなのかもしれない。
(香雪社 斎藤訓之)
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