勝利のメンタリティー(山本昌邦)

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先人の魂感じる聖地 国立競技場、今後も輝き期待

2020/1/16 3:00
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2020年夏の東京オリンピック・パラリンピックのメイン会場となる国立競技場で元日、サッカーの第99回全日本選手権(天皇杯)決勝が行われた。同競技場での最初のスポーツ公式戦となった神戸と鹿島の一戦には5万7597人の観衆が詰めかけ、装いを新たにした「コクリツ」の門出を祝った。

サッカー天皇杯はチーム強化に投資を惜しまない神戸が初優勝を果たした=共同

サッカー天皇杯はチーム強化に投資を惜しまない神戸が初優勝を果たした=共同

試合は神戸が2-0で快勝し初優勝、世界を目指す三木谷浩史会長の情熱がついに実を結んだ瞬間に思えた。そして平成から令和という変わり目に「日本サッカーの歴史が動いた」というような感慨にとらわれた。チーム強化に投資を惜しまない神戸の優勝が刺激になり、神戸から、あるいは他のクラブから、もっとすごいチームが出てくる「始まり」のような気がしたのだ。Jリーグの新シーズン開幕が今から待ち遠しい。

新しい国立競技場の感想はどうか。ピッチの状態は申し分なく、客席のすべてに屋根がついたせいか、風の影響をあまり感じず、音の響きも良くなったと思った。部材に木材がふんだんに使われたおかげで和のぬくもりがあり、各フロアを移動するエレベーターは、これなら車椅子の人でも乗り降りしやすいと感心するくらい大きくなった。あらゆる面で進化を感じた。

天皇杯決勝が行われた国立競技場。「あらゆる面で進化を感じた」と山本氏=共同

天皇杯決勝が行われた国立競技場。「あらゆる面で進化を感じた」と山本氏=共同

学生スポーツの中心だった明治神宮外苑競技場跡地に国立競技場が竣工したのは、1958年3月30日というから、私が生まれる5日前である。同年5月開幕のアジア競技大会に間に合わせるため、突貫工事で完成させたという。翌59年5月の国際オリンピック委員会(IOC)総会で、64年の東京五輪招致が決まると、国立競技場はさらに拡張工事を施され、我々の多くが記憶にとどめる"旧国立"の姿に変わった。

聖火台の火見て自然に気持ち高ぶる

昔の国立競技場には私も多くの思い出がある。

初めてプレーしたのは79年の日韓戦の前座で、日本の学生選抜の一員として韓国の学生選抜と戦った。客席は閑古鳥が鳴いていたが、小学校6年の卒業文集に「サッカーの全日本の選手になりたい。日本をオリンピックで優勝させたい」と書いた私にすれば、憧れの舞台に立った心地だった。

天皇杯の第62回大会(82年度)でヤマハ発動機(現ジュビロ磐田)として初の全国優勝を果たし、監督の杉山隆一さんを胴上げしたのも良き思い出だ。

そんな中でも強く印象に残るのが、U-23(23歳以下)の代表監督として、アテネ五輪出場を決めた2004年3月の2連戦である。

直前のアラブ首長国連邦(UAE)ラウンドで日本の選手たちは原因不明の腹痛と下痢に襲われた。何とか2勝1分けで乗り切り、日本に戻ってきたものの、体調はさらに悪化。埼玉スタジアムの最初のバーレーン戦を0-1で落とし、アテネ行き1枚の切符をかけた争奪戦は大混戦に陥った。そこから日本はレバノンとUAEに連勝するのだが、猛烈にプッシュしてくれたのが国立競技場に駆けつけた5万人を超すサポーターだった。

実は、試合会場を決める際に監督として「アテネ行きを決める最後の2試合は、日本のオリンピックの聖地といえる国立で戦いたい」と日本サッカー協会にリクエストを出していた。火曜日(16日レバノン戦)、木曜日(18日UAE戦)という平日夜の試合でも人が集まりやすい立地。4年前のシドニー五輪出場をトルシエ監督と決めた、験のいい場所でもある。なにより、バックスタンドに聖火台がある。試合の度にともされる、聖火台にゆらめく火を見ると「よし、やるぞ」と自然に気持ちが高ぶってくる。

そういうことをすべてひっくるめて国立での試合を望み、目的をかなえた2連戦。サポーターの声と選手の頑張りが一つになった最高の雰囲気を私は終生、忘れることはないだろう。

同じ場所に在り続けることのすごさ

ブラジルの王様ペレ、西ドイツ(当時)の皇帝ベッケンバウアー、若き日のアルゼンチンのマラドーナら数々のレジェンドの雄姿を実際に拝んだのも国立競技場。高校サッカーから、ペレや釜本邦茂さんの引退試合、Jリーグの発足試合にチャンピオンシップ、世界一のクラブを決めるトヨタカップまで……。

02年ワールドカップ(W杯)日韓大会に備えて、新しいスタジアムが日本のあちこちにできるまで、日本サッカーのあらゆるメモリアルなゲーム、プレー、勝ちも負けも引き分けも、国立競技場に刻まれてきたといっても過言ではない。

旧国立競技場には日本サッカーのあらゆるメモリアルなゲーム、プレーが刻まれてきた

旧国立競技場には日本サッカーのあらゆるメモリアルなゲーム、プレーが刻まれてきた

そんな国立競技場のすごさは、時代の要請とともに器を造り替えながら、同じ場所にずっと在り続けることにあるのではないか。おかげでずっと、あの場所に、見えない力が宿っているというか。喜びも悲しみも悔しい思いも含め、先人たちの魂を感じることができる気がするのである。

新しい国立競技場は、おそらくスポーツだけの聖地ではなくなる。多くの人を集めるものなら音楽などエンターテインメントの舞台としても供されていくらしい。内外の観光客にとっては新たな観光スポットが一つ増えた感じだろうか。

しかし、「旧」から数えると私と同じ年齢の国立競技場にはこの先、たくさんの競争相手がいることだろう。前回64年の東京五輪の後、ほぼ独壇場だった環境とは大いに異なる。

器としての大きさならサッカー、ラグビー、2つのW杯のファイナルの舞台になった日産スタジアムの方が上だ。収容能力と専用スタジアムのメリットを兼備する点では埼玉スタジアムの方が上。あらゆる天候に対応できる点で屋根付きのドームに勝るものはない。

埼玉スタジアムで行われた全国高校サッカー準決勝。サッカーの大きな試合の舞台として同スタジアムは新国立競技場のライバルになる=共同

埼玉スタジアムで行われた全国高校サッカー準決勝。サッカーの大きな試合の舞台として同スタジアムは新国立競技場のライバルになる=共同

アテネ五輪出場を懸けた2連戦で私は国立での試合を望んだが、歴代の外国人の代表監督はW杯予選などの真剣勝負は埼玉スタジアムを使うことを求めた。戦う相手にプレッシャーをかけるには、陸上のトラックがなく、ピッチとの距離が近い専用スタジアムの方がはるかに容易だからだ。それは、戦う前から日本の選手に大きなアドバンテージが存在することを意味する。埼玉スタジアムは、この20年近く、そんな有形無形の力を代表チームに与え続けてくれた。

新しい国立競技場は、そんなライバルたちを向こうに回し、どんな輝きをこれから放ってくれるのか。歴史の重みと立地とアクセスの良さに安住することなく進化を遂げて、「あそこでプレーしてみたい」「あそこで見てみたい」と、いつまでもスポーツを愛する人に思われる聖地であり続けてほしい。

(サッカー解説者)

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