本庶佑さん、五百旗頭真さん、安藤忠雄さんが語る震災復興

阪神大震災25年
地域総合
関西
2020/1/13 2:00
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1995年1月17日の阪神大震災からまもなく25年。戦後初の大都市直下型地震の教訓、後世に伝えるべきことはなにか。神戸医療産業都市構想の推進に携わってきた京都大学特別教授の本庶佑さん、ひょうご震災記念21世紀研究機構理事長も務める兵庫県立大学理事長の五百旗頭真さん、阪神・淡路震災復興支援10年委員会の実行委員長を務めた建築家の安藤忠雄さんに聞いた。

「都市復興 得意技つくろう」(神戸医療産業都市推進機構理事長・本庶佑さん)

阪神大震災の復興の教訓を他都市に伝えるとすれば、人のまねではなく、自分たちの独自性を打ち出して新たな得意技をつくるべきということだ。保証はできないが、うまくいく可能性はある。

神戸は日本で誰も掲げていなかった「神戸医療産業都市」構想推進を決めた。震災後、野っ原だった人工島のポートアイランドの南側でほぼゼロからのスタートを目指した。私も構想議論にも加わり、医療機器や再生医療、医薬品開発について産業的視点から検討を進めた。だがその時点では成功するかどうかも分からず、当時は神戸の医師会なども反対した。

今すぐ役に立つものは誰もが納得するが、その程度のアイデアはすぐ駄目になる。全国に先駆けたユニークな制度を整えたことで、現在では関連する368社・団体が集積する日本最大のクラスター(集積地)に成長し、医療都市内で1万1千人の雇用を生んだ。

結局、復興ですぐ食べられる「握り飯」を取るか、育成に時間のかかる「柿の種」を取るのか。船やロケットを造る計画でも5年や10年といったスパン。生命科学は半世紀かかって花が開く。例えば(自身が携わる)がん免疫治療薬「オプジーボ」の売上高は今後大きく伸びる見込みだ。神戸からも1000億円規模の医薬品の創出はありえる。

訳も分からないものになぜ金を出すのか、政治家も含めあまり理解されない。それでも復興重視で予算が限られていた当時、神戸市が陣頭指揮を執って各所に説得して回った英断は語り継がれるだろう。

ただ、神戸の復興モデルを模範として「この通りにやりなさい」とは言えない。神戸は25年たって医療都市が得意技になった。まねするのではなく、どんなプロセスで進めていくべきかは他の都市に学んでもらったらいい。

今後の課題は人材養成だ。日本は人口減少が進んでいるため人材の質を高めなければならない。「大企業に入れば安泰」という若い人の大企業病を変える支援体制が必要だ。ライフサイエンスはどこに創薬の種があるかわからない。企業内研究者は社内だけではレベルアップが難しい。自分のアイデアを生かして起業し、高度なノウハウを学べる場所を整えることも必要だ。

神戸医療産業都市の柿は「青い実」がなり始めたころだ。10年もすれば創薬や医療機器の分野での収穫が始まるだろう。(聞き手は沖永翔也)

 「事前の対処 専門組織で」(兵庫県立大学理事長・五百旗頭真さん)

阪神大震災で始まった地震の活動期は、2011年の東日本大震災はまだ中間で、恐らく21世紀の半ばまでに南海トラフの巨大地震が起きてやっと終息するとされている。その間にも各地で地震が頻発する可能性があるが、それが東京、大阪、京都のどこかで起きればより悲惨なことになる。

過去の震災での政府の対応をみると、1923年の関東大震災では復興院という各省庁の上に立つ組織をつくったものの頓挫した。阪神大震災では新機関をつくらず、少人数の復興委員会が地元の意向を吸い上げ、全省庁を挙げて応援をした。東日本大震災は復興構想会議を立ち上げて総合的なプランを策定してから、復興庁を設立した。

次の南海トラフは前回の南海・東南海地震よりすさまじいものになりかねない。被災地があまりに広範で、対処の道筋をまとめるのも難しくなるだろう。なのに国が統合的な対処の組織を持たないことが心配だ。

内閣府の防災担当などがあるというが、災害対処は専門的な技術やノウハウの蓄積が不可欠。国防には自衛隊という組織があり、高度な研究、訓練、装備を用意している。防災はその時その気になれば対処できるかのような幻想があるが、それは違う。事前の対処と、統合的で専門性のある対処計画が必要だ。

阪神大震災のときは兵庫県西宮市の自宅で被災した。地震の平穏期が半世紀ほど続き、関西で大地震は起きないと牧歌的に語られていた。災害自体が被害を決めるわけではなく、社会との関係で決まる。日本社会はあまりに無防備で、6千人以上の命が失われた。大災害に対処できる社会にしなければと考えた。

震災後の復旧は非常に迅速で効率的だったが、復興では、政府は以前より良いものをつくるのであれば地元のお金で、そして私有財産の再建は個人でやるべきだという2つの壁をたてた。その後、被災者生活再建支援法ができたものの、創造的復興に独自に取り組んだ兵庫県は、多額の借金を抱えてしまった。

東日本大震災では復興構想会議の議長に任命されたが、議長としての方針は阪神大震災の経験に基づいている。当時の経済財政状況で国は借金を積み増せないし、兵庫の頑張りを東北の自治体がまねれば破綻する。なので当初から復興税の導入を主張した。国民共同体として頑張らねばならないと考えたからだ。

「かれら被災地お気の毒、われわれ安全結構だ」というのではなく、この災害列島においては被災地を全国民で順繰りに支えていくという国民共同体をつくる以外に生き延びるすべはない。(聞き手は堀直樹)

「機能と美 備えた建物を」(建築家の安藤忠雄さん)

震災当日はロンドンにいた。予定を変更して関空に戻り、次の日に大阪の天保山から神戸港まで船で渡った。信じられない風景が目の前に広がっていて、復興は不可能ではないかとさえ思った。その後半年間、3日に1日は被災地を歩いた。脳裏に風景をとどめ置くことで、自分ができることは何かを考えた。

「育てる街」をつくろうと、震災で亡くなった方々の慰霊の意味も込めて、(復興支援で)コブシやハクモクレン、ハナミズキなど白い花の咲く木を中心に25万本を目標として植樹した。多くの人たちが春に咲く花を見て、頑張る気持ちになってほしいと考えた。またつくっては壊すを繰り返す日本の都市に、緑の力で「心の中に残る風景」をつくることも考えた。

復興の過程で、兵庫県立美術館や淡路島の淡路夢舞台を手掛けた。公共建築は人が集まる場所。いざという時、そこに行けば安全で安心という場所にしようと考えた。災害が起きた時、昔であれば人々が神社などの鎮守の森に集まったのと同じだ。建物は機能的で、かつ美しいことが大事だ。

各地で災害が起きたときに、国民一人ひとりが自分たちにできることを考え、被災地に手を差し伸べることが「共に生きてきた国」のあり方ではないか。この地震列島の上に住んでいるということは、共に助け合わないと生きていけないぞという認識を持つことが大切だ。

責任ある個人、責任あるリーダーをつくらないと。地震は予測が難しいとされるが、火災などの二次災害はある程度は防げる。それを助けるのは人間関係しかない。社会に対して個人や会社は何ができるか考えてほしい。そのためには個人や地域や会社が自立をしていないといけない。例えば企業が被災地にボランティアを派遣しようとしても、業界の横並びを意識すればためらってしまう。助け合うのには覚悟がいるし、自由と勇気がいる。

日本人は絶望的な状況に追い込まれても、力を合わせ一丸となって、困難を乗り越えていく強さがある。阪神大震災をきっかけに定着した災害ボランティアや被災地で頑張る人々の姿がそれを顕著に表していた。強いリーダーのもと市民らが垣根を越えて連携し、美しい神戸を次の世代に残したいという思いが重なった「創造的復興」が実現した。

神戸は旧居留地など「心の風景」を残してきた。それは重要なこと。再開発が進んでいるが、人々の記憶に刻まれた街並みの景観については可能な限り残してほしい。同時に、そこに行けば安全・安心という街づくりを目指さなければならない。

神戸は地域社会のネットワークがよい街。何を絆にネットワークをしているかというと、街への愛情だと思う。市民は神戸が好きで、そのことに誇りを持っている。それが強い復興の力になった。自分たちがいざというときに何をするのかという心構えが災害に備える力になる。(聞き手は堀直樹)

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