「テック悲観論」革新への通過点(The Economist)

The Economist
2020/1/7 0:00
保存
共有
印刷
その他

The Economist

より速く、より安く、より良いものを――。テクノロジーは明るい未来をもたらしてくれると多くの人が期待する分野の一つだ。だが2020年代の幕開けに際し、こうした楽観は鳴りを潜めている。この10年間支配的だった新たなテクノロジーが事態を悪化させつつあるように見えるからだ。ソーシャルメディアは人々をつなぐはずのものだった。11年の中東や北アフリカの民主化運動「アラブの春」では、自由をもたらす原動力になったと歓迎された。だが今日ではむしろ、プライバシーを侵害し、プロパガンダを拡散し、民主主義をむしばむものとして知られる。電子商取引(EC)や配車サービス、ネットを通じ単発の仕事を請け負う「ギグエコノミー」は便利かもしれないが、不当に賃金の安い労働者がこうした仕事を担い、格差を助長し、交通渋滞を引き起こしている。親はスマートフォンのせいで、子どもが画面を眺めてばかりいるゾンビになってしまったと心配する。

香港ハンソン・ロボティクスが発表したAIロボット。技術革新への不安もあるが、すべては使い方だとエコノミスト誌は指摘する=ロイター

香港ハンソン・ロボティクスが発表したAIロボット。技術革新への不安もあるが、すべては使い方だとエコノミスト誌は指摘する=ロイター

これから始まる新しい10年間を支配するとみられるテクノロジーも、暗い影を落としているようだ。人工知能(AI)は先入観や偏見を固定化し、人間の仕事を脅かし、独裁者たちを支える可能性がある。次世代通信規格「5G」は中国と米国の貿易戦争の核心だ。自動運転車はまだ開発途上だが、それでも死亡事故を起こしてしまう。世論調査ではテクノロジー企業への信頼は今や銀行よりも低い。銀行がテクノロジー企業としてイメージを変えようと躍起になっている一方で、ネット大手は新たな銀行になり、優秀な人材にとって魅力的な会社から、世間から辛辣な批判を受ける存在へと変わってきた。社員からも反乱を起こされる始末だ。

■スマホとソーシャルメディアが暗いムードの中心

米紙ニューヨーク・タイムズはこうした技術革新がもたらす闇を「悲観ムード」と呼び、「科学や産業の革命で生まれた必然の進化とする見方」に取って代わったと指摘した。もっとも、これは1979年に掲載された記事の文言だ。同紙は当時、「テクノロジーの暴走にも思える力を社会は抑制できないのではないかという懸念の高まり」によって、こうした悲観ムードが膨らんでいると憂慮した。

現在の暗いムードの中心にあるのは10年前に登場したスマホとソーシャルメディアだ。もっとも、テクノロジーのかじ取りを間違えたのではないか、あるいは特定のテクノロジーは利益より害が大きいのではないかという疑念は以前からあった。70年代には人口過密や環境破壊、核の犠牲になることへの懸念から失望が広がった。道を騒音とふんだらけにし、渋滞や事故が絶えない馬車に代わる素晴らしい交通手段とされていた自動車に対しても1920年代には反発が起きた。そして19世紀には、熟練した職人の失職、農村の荒廃、煙を吐き出す工場であくせく働く工員の苦悩を(もっともな理由から)懸念したラッダイト運動(機械化への反対)支持派やロマン派、社会主義者らが工業化の負の側面を非難した。

振り返ってみると、こうした失望を招いた技術革新は、期待していた成果が得られなかったり、予期していなかった影響が生じたりして、人々を落胆させた。テクノロジーは創造的破壊を引き起こすため、不安が高まるのも無理はない。どんなテクノロジーにも短所の方が長所を上回るように思えることがあるからだ。現在のようにこれが複数のテクノロジーで同時に発生すると、テクノロジーへの悲観がまん延する。

■これまでも人類は悲観論に傾きがち

だが、こうした悲観は大げさかもしれない。人は往々にして新たなテクノロジーの恩恵を当然とみなし、欠点にばかり目を向けるからだ。スマホ中毒への懸念は、どこからでもネットに接続でき、情報や娯楽にすぐにアクセスできるというスマホが可能にしたはるかに大きなメリットとてんびんにかけて考えてみるべきだ。もっと危険なのは、新たなテクノロジーに伴う短期的なコストを避けようとするラッダイト的な取り組みによって、長期的なメリットへのアクセスを拒んでしまうことだ。英オックスフォード大学のカール・ベネディクト・フレイ博士はこれを「テクノロジーのわな」と呼ぶ。例えば、ロボットが人間の雇用を奪う懸念から、政治家はロボットの利用を阻止しようとロボット税を導入するかもしれない。だが長期的には、労働力が高齢化し減少しても生活水準を維持したい国は、ロボットを減らすどころか増やす必要があるだろう。

これは「テクノロジーに関する問題はテクノロジーをもっと使うことで解決できる場合が多い」という別の教訓を示している。例えば米国では、エアバッグなど安全機能の向上で、走行距離10億マイル(約16億キロ)当たりの交通事故による死者は1920年代の約240人から今ではおよそ12人に減った。AIはソーシャルメディアで過激派の思想が流れるのを食い止めるのにも使われている。(テクノロジーをもってテクノロジー問題の解決につなげていく)最たる例は気候変動だ。クリーンエネルギー、二酸化炭素(CO2)の回収、エネルギー貯蔵ではイノベーション(技術革新)に一切頼らない解決策は想像しがたい。

最も重要な教訓は「どんな強力なテクノロジーも使い方によっては善にも悪にもなる」というテクノロジーそのものに対するものだ。インターネットは見識を広げてくれるが、人が首をはねられている映像が拡散する場でもある。バイオテクノロジーは農作物の収穫量を増やし、病気を治すことができるが、人体に危害を及ぼす凶器にもなり得る。

■技術者だけでない広範な議論を

テクノロジー自体に主体性はない。社会を形作るのはテクノロジーに対する人間の選択だ。このため、「テックラッシュ」と呼ばれる大手テクノロジー企業への反発は、重要な新しいテクノロジーの導入に必要なステップといえる。うまくいけば、これにより社会がイノベーションと折り合いをつけるのに役立つ。例えば、(シートベルトや触媒による排出ガス浄化装置の義務付け、交通規制で)害を及ぼす可能性を抑える規制や政策を課す。(工業化への対応として全ての人に教育を普及させることで)変化に対応する。(配車サービスの利便性とギグワーカーへの保障との間で)妥協点を見いだすといった具合だ。健全な懐疑心を持てば、こうした問題を技術者らによってではなく、広範な議論によって解決できるということだ。

おそらく懸念の根源はテクノロジーそのものではなく、こうした問題を議論し、まともな答えを出す力が社会にあるのかという不安の高まりにあるのだろう。その意味では、テクノロジーへの悲観は政治に対する悲観の表れだ。もっとも、これについては逆に安心できそうな面もある。悲観論は全く議論がないよりはましだからだ。しかも、歴史はなお総じて楽観に傾いている。産業革命以降の技術革新によって、乳幼児の死亡や飢餓、無学など昔ながらの問題は大きく減少した。

確かに、地球温暖化は進み、抗生物質が効きにくい薬剤耐性菌は広がっている。だが、こうした問題の解決にはもっと多くの分野でテクノロジーを活用する必要がある。2020年を迎えるにあたり、悲観はいったん脇に置いておこう。テクノロジーに満ちあふれたこの時代に生きているのは、これまでで最も幸運な人たちなのだから。

(c)2019 The Economist Newspaper Limited. December 21, 2019 All rights reserved.

保存
共有
印刷
その他

電子版トップ



[PR]