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石田庄兵衛氏 防戦買いの果て、敗北

2020/1/11 2:00
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明治半ばになると日本列島が鉄道建設ラッシュを迎える。鉄道株が株式市場の人気銘柄となってくる。有望株を巡っては相場師たちが買い占め作戦に打って出る。明治29年参宮鉄道株の買い占めに出るのは石田卯兵衛。これに対して伊予鉄道株の買い占めに走るのが石庄こと石田庄兵衛。

庄兵衛は大阪の古い砂糖問屋で大阪銀行の頭取をやるほどの人物だが、いつしか相場界に入っていく。それというのが、石庄は資産家で伊予鉄道の大株主であったが、伊予鉄の株が株式市場に売りに出され、値が下がっていくものだから庄兵衛は手をこまぬいているわけにはいかない。いわゆる防戦買いに出たのである。北浜の山添順三という仲買店を旗艦店に据え買い出動する。

「その頃の伊予鉄道は極めてちっぽけなもので、大株(大阪株式取引所)市場の建株になっているものの、世間ではだれも重きを置いていなかった。しかし、手口が知れると提灯がつく恐れがあるので石庄は深く面体を包み極秘のうちに買っていた。が、生き馬の目を抜く連中に注目されてきた。注目されると同時に爆発買いが始まる。買いが盛んになれば相場が奔騰する。こうなってくると四方八方から売り方が現れる。勢い買い方は本気にならざるを得ない」(狩野正夫著「商戦秘話」)

引用文中の建株とあるのは先物市場に上場されている株のこと。3年前やはりローカル鉄道の参宮鉄道株を大阪の相場師石田卯兵衛が買い占めに出てこの時は買い占めが成功したが、古来買い占めは失敗に終わる例が多い。買い占めには大きな資金を要するので数人が同盟を結んでことに当たるわけだが、途中で仲間割れして同盟が破綻してしまうからだ。

大阪商人の神髄に詳しい井原西鶴は「金山の仲間入れ」を禁じている。金山を仲間と共同で開発しようとすると、必ずといっていいほど金銭上のトラブルで失敗する、やるなら一人でやれと説いている。金山も相場も同じこと。今回の場合、石庄は連合して買い占めにかかったわけではなく、むしろ単騎で出馬したのだが、孤軍奮闘で苦戦を強いられる。

「これがほんとの嘘から出た真である。自分の手元にある株価を維持しようと思って買ったはずのやつが、提灯買いや売り方の乱射乱撃に遭って引くに引かれぬその場の意地ずく、石庄も今は鉄扇であしらっているような気持ちではいられず、袴の股立ち高く取り上げ、あらん限りの伊予鉄株を買い取って売り方に目に物みせてくれようという、買い占めのダンビラを大上段に振りかぶったわけだ」(同)

石庄は西鶴の教えに従ってか、孤軍奮闘、買い占めを敢行するが、旗艦店(山添)の買い玉はすべて石庄のものだとわかると、銀行は山添に対する融資をパタリと止めてしまった。石庄が経営する大阪銀行には取り付け騒ぎも勃発する。買い占め戦で銀行から見放されると万事休す。明治32年2月21日、大株は帳簿整理と称して臨時休業に追い込まれる。

2日後、石庄の大阪銀行は大戸を締め、石田は破産した。その夜、大株は立会を再開したが、山添は違約処分を受け市場から追放された。同じ石田でも卯兵衛は参宮鉄道の買い占めに成功し、庄兵衛は伊予鉄の買い占めに失敗した。=敬称略

信条
・株価維持の買い支えが図らずも買い占め戦に発展
・提灯がついて乱戦に陥る
・金融の道を絶たれ敗北

(いしだ しょうべえ 生没年不詳)
通称「石庄」。大阪の資産家。明治中期、市内で大阪銀行を開く。明治32年当時伊予鉄道の大株主であったが株価下落で防戦買いに出る。だが気が付いたときは総売りの状態で衆寡敵せず敗北。金融の道を止められたのが致命傷となる。日本買い占め史に名を残す。同時代に石田卯兵衛(石卯)という相場師がいてしばしば混同される。

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