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桐竹勘十郎「父の享年超え節目」

文楽の夕べ、放談「新時代を拓く」

「文楽の夕べ」で上演された「本朝廿四孝~奥庭狐火の段」(2019年11月、大阪市北区)

日本経済新聞社は公益財団法人文楽協会の協力を得て2019年11月27日、大阪市中央公会堂(大阪市)で第16回「文楽の夕べ」を開いた。文楽人形遣いの桐竹勘十郎が「新時代を拓(ひら)く~人形遣い・桐竹勘十郎が語る文楽の未来」と題して語った。聞き手は森西真弓・大阪樟蔭女子大教授。

どんな境遇の老若男女も手堅く演じる一方でファン開拓にも汗をかき、いまや文楽界を代表する一人となった勘十郎。50歳で父(二代桐竹勘十郎)の名跡を継ぐまでは、女形の第一人者・吉田簔(みの)助の門下で吉田簔太郎を名のっていた。

「師匠が肺炎で入院したため急きょ代役を勤めたことがあった。『一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)』で平敦盛の身代わりに討たれる小次郎の役だ。熊谷直実を父の二代勘十郎が演じていた。おかげで配役の親子と重なり実の親子による共演ができた」

言葉にこそしないものの、簔助は名伯楽として英才教育を施してきた。

「師匠が『皆が忘れんうちに』と父の没後一年に追善公演をするという。演目『夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)』で回ってきた役は侠気(おとこぎ)ある主人公の団七。父の当たり役ではあったが、私は30代前半で人形遣いとしてはまだ半人前。一足飛びに男性主役の主遣いが勤まるだろうか」

「そんな不安をよそに、簔助師匠が団七の義父の義平次を遣い、これでもかと憎々しげに挑発する。しかも日ごと想定外の挑発。こらえ切れずついにあやめてしまうまでを必死で演じた。必死さを自然に引き出そうという師匠の計略かも」

こうして鍛えられた勘十郎も、いざ父の名跡を継ぐ時は迷ったという。

「いくら師匠の仰せとはいえ師匠の芸を継ぐのが伝統。女形の第一人者の簔助師匠についていた私が、立役(男役)で鳴らした父の名跡を継ぐには芸風に違いがある。父についていたお弟子さんを押しのけて襲名するのも気兼ねがあった」

「ただ、襲名公演では『絵本太功記』で謀反を起こす武将・武智光秀を演じて、東京・大阪、地方公演で併せて77回勤めた。これで立役への不安が吹っ切れた」

その勘十郎もはや66歳。父の享年に並んだ。

「67歳を迎える20年は、自分にとって芸歴の節目。自ら書き下ろした演目『端模様夢路門松(つめもようゆめじのかどまつ)』ほかをロームシアター京都(京都市)で2月29日に上演する」

「文楽の夕べ」はこの後、太夫の竹本錣(しころ)太夫と三味線の竹澤宗助が「楽しい文楽鑑賞法」と題して対談し、1月3~26日まで国立文楽劇場で開かれる初春文楽公演について語った。見どころは第1部「傾城反魂香(けいせいはんごんこう)」、第2部「加賀見山旧錦絵(かがみやまこきょうのにしきえ)」など。対談後のミニ公演では「本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)~奥庭狐火(おくにわきつねび)の段」を上演した。(本文敬称略)

きりたけ・かんじゅうろう 1953年大阪府生まれ。67年文楽協会人形部研究生になり、吉田簑太郎の名で68年初舞台。2003年、父の名跡を継ぎ三代桐竹勘十郎を襲名。08年芸術選奨文部科学大臣賞、紫綬褒章、10年日本芸術院賞を受賞。新作浄瑠璃や海外公演にも取り組み、文楽普及に努める。

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