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「攻める力」使い果たした「闘将」 サッカー・闘莉王

引退模様(3)

若い頃はけんかっ早く、敵味方のサポーターともよく言い争った。だが「闘将」は38歳にして「仏」になった。試合が終わると、味方の京都サポーターの前に仲間と並んで一礼し、それから1人で相手サポーターの方へ歩いていって「今まですいませんでした。ありがとうございました」と頭をぺこり。これが今季の恒例行事となっていた。

サッカーへの情熱が少しでも揺らいだら引退しようと、かねて心に決めていた。1年前にそのときが来たと悟ったが、残り火をかき立てて、もう1年プレーした。アウェーを回り、相手サポーターにも礼をつくすためだった。

クラブには慰留されながら引退を決めた田中マルクス闘莉王さん

ところがラストマッチとなった柏とのJ2最終節は、この儀式ができなかった。味方と接触して鼻を骨折、出血が止まらず1-4で終えた前半限りで交代し、そのまま救急車で運ばれたのだ。

この試合、京都は1-13という無残な大敗を喫している。病院で結果を聞かされ「自分はなぜ途中で去ったのか」と歯がみした。終了のゴング寸前でKOされたボクサーのような幕切れだった。

21年前にブラジルから日本にやってきた少年は、長じて日本国籍を取得し、日本代表DFになった。空中戦にめっぽう強く、FWはだしの得点力、攻撃参加と過激な言動で仲間を鼓舞するアジテーター。浦和と名古屋でのJ1優勝は何よりの宝ものだが、最も忘れがたいのは2010年ワールドカップ(W杯)南アフリカ大会で8強をかけて敗れたパラグアイ戦だと語る。

延長戦まで戦い、なお0-0だった。相手先攻のPK戦は9人が蹴って8人が成功、日本の駒野友一だけがバーに嫌われた。「自分は最終5番手。ずっと相手GKを観察していた」。そのかいもなく、出番はついに来なかった。

自分が蹴っていたらと、いまも考える。あのGKは気がせいていた。先に跳ばせて、真ん中を狙えば……。「止められたっていい。どうせ負けるなら、俺が外せばよかったんだ」とさえ思う。

現役時代に悔いがあるわけはない。日本で成功をおさめて、友達も大勢できた。ブラジルに帰れば家族がいて、牧場を営む土地もある。先のことは決めていないが、サッカーはやりきった。

それでも、出番のなかったPK戦は砂をかむような苦い思い出だ。「(苦いのは)自分が点を決めていないから。DFとしていい仕事をしたけど、あの大会の日本は守備的で、自分も攻撃参加ができなかった。せめてPKを蹴りたかった。そうすれば、負けても(責任を)引き受けられる。それが闘莉王だから」

ヘディングにめっぽう強く、FW顔負けの得点力を誇った(左から2人目、写真はW杯南ア大会デンマーク戦)

だがここ数年、そういうエネルギーを失っていく自分に気づいてもいた。「試合を決める力、攻め上がる迫力、本能がどんどん消えちゃって。(クラブには)まだ戦力として考えられていましたよ。でも問題はそこじゃない」

「守る力」よりも「攻める力」「決める力」の喪失を悟ったとき。超攻撃的DFにとって、それがピッチを去るときだった。

(阿刀田寛)

 たなか・まるくす・とぅーりお 1981年ブラジル生まれ。16歳で千葉・渋谷幕張高へ留学、2001年広島入団。水戸を経て浦和で06年にJ1優勝とMVP、07年はアジア・チャンピオンズリーグ優勝とクラブW杯3位。名古屋でも10年にJ1制覇。17年加入の京都が最後のクラブとなった。DFの100点超え(J1、J2通算104得点)は史上初。03年日本国籍取得、04年アテネ五輪出場。フル代表は43試合8得点、10年W杯南ア大会の16強に貢献した。

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