義足で出した「自己ベスト」 パラ陸上・井谷俊介(上)
11月、ドバイ(アラブ首長国連邦)で開催された世界パラ陸上。井谷俊介は100メートルと200メートル(いずれもT64)で決勝に残った。結果は8位と7位だったが「今のベストは出せたし、本当に楽しかった。人生のなかで一番と思えるくらい」。本格的に競技に没入してからまだ2年弱という24歳。パラ陸上短距離界でまばゆい輝きを放つ新星の伸びしろは無限大だ。

大学2年の時に交通事故に遭い、右脚の膝から下を切断して義足での生活となった。一般的に義足のランナーは体が左右にぶれやすい。だが「体幹が強いのか、均等に体を使えている」という井谷の走りは至ってスムーズ。足元を見なければ、義足であることを気づかせないようなフォームでトラックを駆ける。
もっとも、東京パラリンピックへの思いを胸に義足で走り始めた頃は「ただ一生懸命なだけで前に進まなかった」。井谷の走りを陸上選手のものに変えたのは、山県亮太らを指導するトレーナー、仲田健との出会いだ。当時の100メートルのタイムは13秒台後半。仲田は「フォームも体もできていない状態でこれだけ走れている。しっかりやれば世界で戦える」とみた。
仲田は歩き方から指導した。体のどの部分をどう動かして地面に足を着けるのか。基礎の基礎から精緻に積み上げ、自己流だったフォームを作り替えた。「1年でこんなに」と本人が驚くほど筋力もつき、見違える体つきになった。
事故前は野球やモータースポーツに熱中した若者が描いた成長曲線は急角度だった。今年5月、静岡であった大会で井谷が出した記録は11秒55。高校時代に出した自己ベストの11秒7を、義足で上回った。大きなハンディを背負ったはずの自分が過去の自分の先を行く。「全然想像できなかった。言葉では表現しにくい達成感」がこみ上げた。
今や100メートルと200メートルのアジア記録を持つ井谷だが、世界のトップとは依然として1秒前後の差が残る。「徐々に自分が速くなっても、彼らもどんどん速くなっていく」。世界パラでは会心のスタートを決めたつもりだったが「何一つ前に抜け出せなかった」。そこからの加速力の差は歴然としていた。
まもなく始まる東京パラのシーズンに向けて、井谷は海外勢に倣って健足よりも長いサイズの義足を新調するという。スタートは難しくなるが、中盤以降の加速につながるからだ。義足の変更にはリスクも伴う。それでも「それに合うように自分の体を作り込んでいく」。目標とする東京の表彰台に向けて、覚悟は定まった。=敬称略
(木村慧)
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