美食国のレガシー、僕らは五輪に何を刻む 三国シェフ
「オテル・ドゥ・ミクニ」の三国清三オーナーシェフ(下)

フランス料理レストラン「オテル・ドゥ・ミクニ」の三国清三オーナーシェフの活動の場は、厨房だけにとどまらない。ラグビーワールドカップ2019組織委員会や今年開幕する東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の顧問に唯一、食の分野の代表として名を連ねたり、子どもの食育の問題に長らくかかわったりと幅広い。そんな三国シェフにこれからの外食産業のあり方や「食」の未来について聞いた。(前回の記事は、「フランス料理の独自性模索し続けた35年 三国シェフ」)
――いよいよ今年は東京オリンピック・パラリンピックが開幕しますね。
日本が誇る豊かな食文化を世界に発信する好機だと思っています。2013年には「和食」がユネスコ(国連教育科学文化機関)の無形文化遺産に登録され、おいしい食と日本人ならではの「おもてなし」を存分に楽しんでもらいたいと思っています。
僕は今、公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の顧問をしています。前回の東京大会(1964年)の時は、僕が18歳のころ上京し、目指した帝国ホテルの師匠で、総料理長をされていた村上信夫さんがやはりかかわっておられました。その意味で村上シェフの弟子の僕が今度の東京五輪に「顧問」の立場で関与しているのは巡り合わせや縁を感じます。
前回の東京五輪開催当時は、戦争で焼け野原だった状態の日本が急速に立ち直り、明るい未来を信じ、まい進していたタイミングでもありました。とはいえ、「日本で本当にオリンピックが開催できるのか」という不安の声があったのも事実でした。世界中から集まるアスリートらの胃袋を満たす食料の確保をどうするか、各国の料理をつくるためのレシピは、そんな問題が山積していたのが現実だったからです。
今でこそ冷凍食品はスーパーの店頭にずらりと並び、野菜やチャーハンなどそのジャンルも幅広くなっています。その冷凍食品こそ前回の東京五輪の「レガシー(遺産)」であり、冷凍化で食材の調達に目鼻をつけたのが僕の師匠、村上シェフだったのです。当時と今とでは世の中の状況も大きく様変わりしていますが、僕ら食の世界に携わる人間は2020年の東京五輪で何をレガシーにするのかをしっかり考える必要があると思っています。

――これからの時代をにらみ、子どもの食育の問題にも長らく取り組んでおられますね。
「KIDS(キッズ)―シェフ」という子ども向けの食育活動に取り組むようになって、間もなく20年になります。全国各地の小学校を回りながら、授業の一環として味覚について教えています。北海道の増毛町で生まれましたが、両親は半農半漁で生計を立てていました。サンマのはらわたやホヤ貝などを口にして、僕の味覚は培われてきたと思っています。
味覚を感じる舌の味蕾(みらい)が育まれるのは12歳ごろまで、という専門家の話を聞いて、これは急がないと、と思ったからです。核家族や共働き家庭も増え、「個食」や「孤食」という言葉まで今や誕生する時代です。朝食抜きで学校に行く子どもの存在を耳にしますが、そんなことでは遊ぶ元気や学ぶ気力など湧くはずがありません。
――従来のガイド本に加え、飲食店に関する様々な口コミ情報がネットの世界にあふれています。これからの外食産業についてはどうお考えですか。
有名ガイド本に掲載されたことで「予約が取れない店」に変わってしまう飲食店が実際にありますが、それはプライべート店ならまだしも、普通のお店としては健全でないと思っています。店本位ではなく、あくまでお客さま本位でやっていかないと店として長続きしないのではないでしょうか。
2020年にオテル・ドゥ・ミクニは開業35年を迎えます。その間、ミシュランガイドの星付きレストランに一度もなったことがありません。それでもわざわざ予約して僕の店に来てくれるお客さまがいる。実にありがたい話だと思っています。確かにミーハー感覚でお店選びをする傾向もあるでしょう。でも長年、店をやっていると、お客さま自身も自分なりの物差しを持ち、それに基づき行きたい店を決めている方が以前より一段と増えてきた気がします。
一方、店側も話題にならないと、と意気込み、奇をてらい過ぎる傾向に陥りがちです。やれ料理に泡を使ったり、食材に土やアリを用いたり。いっときブームになっても、長くは続きません。はやりはいずれ廃れるからです。

日本は今や世界に冠たる美食の国として知られるようになりました。和食やダシの「うまみ」を学ぼうと、フランスからも若き料理人たちがこぞって日本へとやってきています。僕が若かりし頃とはすっかり様変わりしたな、と思う半面、フランス料理は大丈夫かなと不安も感じます。僕の最後の師匠、アラン・シャペルさんではありませんが、「まずはフランス人のベースを確立し、その上で日本の流儀を学べ」と僕は口を酸っぱくしていってます。
フランス料理は「近代フランス料理の父」としてエスコフィエさんが基礎を築き、以降シャペルさんやポール・ボキューズさん、ジョエル・ロブションさんらがたすきをつなぎ発展させてきました。フランス料理の完成度で言えば、僕はロブションさんの時代がピークだったのではと実は思っています。ロブションさん以降は、行き過ぎ。
でも行き過ぎるとまた戻るというのもまたしかりです。行きつ戻りつを繰り返し、少しずつ進化していくもの。それが料理だと僕は思っています。
毎月1回行っているレストランのメニュー作りは、僕にとってはまさに生みの苦しみではありますが、幸いまだアイデアは浮かんできます。浮かばなくなった時が引退時と自分に言い聞かせていますが、それはまだ少し先のような気がします。
1954年北海道・増毛町生まれ。中学卒業後、札幌グランドホテルや帝国ホテルで修業した後、駐スイス日本大使館の料理長。大使館に勤務する傍ら、欧州の三つ星レストランなどでアラン・シャペルといった有名シェフにフランス料理の神髄を学ぶ。帰国後、1985年に東京・四ツ谷に「オテル・ドゥ・ミクニ」をオープン。九州・沖縄サミット蔵相会合では総料理長。2013年フランソワ・ラブレー大学にて名誉博士号を授与。15年フランス・レジオン・ドヌール勲章シュバリエを受章。現在、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会顧問や国内各地の食大使などを務め、子どもの食育活動などにも取り組む。
(堀威彦)
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
※ NIKKEI STYLE は2023年にリニューアルしました。これまでに公開したコンテンツのほとんどは日経電子版などで引き続きご覧いただけます。
関連企業・業界
関連キーワード