都市舞台の現代小説と古典を材に新たな物語 - 日本経済新聞
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都市舞台の現代小説と古典を材に新たな物語

第11回日経小説大賞、湊氏と夏山氏に

第11回日経小説大賞(日本経済新聞社・日本経済新聞出版社共催)の最終選考会が行われ、湊ナオ氏の「東京普請日和」と夏山かほる氏の「新・紫式部日記」が受賞作に決まった。都市を舞台にした現代的な小説と古典に材を取り新たな物語をつむぐ意欲作、対照的な2作品が選ばれた。

400字詰め原稿用紙で300枚から400枚程度の長編を対象とする第11回日経小説大賞には342編の応募があった。歴史・時代小説、経済小説、ミステリーなどジャンルは多岐にわたり、応募者は60~70代が半数を占めた。

第1次選考を通過した20編から最終候補となったのは5編。受賞作のほか、東日本大震災後の福島の一年を東京と被災地を行き来する女性の視点で描いた織部ルビ氏「福島の時間」、戦国武将・加藤清正の謎の死をテーマにした村上卓郎氏「秘策あり~加藤清正外伝~」、ブラジルでのドタバタ劇から日本企業の慣習を見直す放生充氏「カーニバル社員」が候補に挙がった。

最終選考は6日、東京都内で辻原登、高樹のぶ子、伊集院静の選考委員3氏がそろって行われた。5作品の内容や完成度について議論を重ねた結果「東京普請日和」「新・紫式部日記」に絞られ、最終的に2作同時授賞で一致した。

「東京普請日和」は芸術家の兄と翻弄される弟の関係を軸に、都市で生きる意味を探る。「人物がクリアに生き生きと書かれ、ひりつく感覚が音声化されて会話になっている」と文章力の高さに注目が集まった。「新・紫式部日記」は源氏物語の作者、紫式部の一代記。藤原道長や清少納言と紫式部の関係をドラマチックに描く。「史実と源氏物語や紫式部日記、そして架空の物語を溶かし合わせて複雑な構造を作っている」といった評価が聞かれた。

<あらすじ>


「東京普請日和」
建築設計事務所で働く田口郁人は五輪開催が決まった東京の本社で仕事漬けの日々。陶芸作品が現代美術界で評価される兄の英明が上京、「日本はまだ普請中」と揶揄(やゆ)する。振り回されるばかりだった郁人の心境に変化が訪れる。

「新・紫式部日記」
小姫は漢籍に親しむ文学少女。政変で一家の幸せは続かなかったが、彼女が書く物語は評判となり、やがて主の藤原道長から物語の女房となり藤式部と名乗るよう命じられる。宮中に上がり「源氏物語」を書き続けるが……。

伸びしろはすべての人に――湊ナオ氏

就職氷河期のはしりのころ就活し、なんとか働く人になりました。「女性は伸びしろがないんだよね。男性は入社時は不出来でも、あとから伸びるし打たれ強いよ」系の言説にさらされ、ひっかかりつつも流し&こなす。普通の会社員をやっていました。東日本大震災までは。

当時介護関係の仕事だったのですが、弱ったあの人もこの人もあっけなく生を手放し逝くのです。揺れる、壊れる、あきらめる。わけがわかりません。今、この現在を理解するすべがあるかと、太宰の『女生徒』さながらに節電で暗い本屋に立ってみれば、手に取った本がはしから宙に逃げていくような。

今を書いたものがもっと読みたい。自分も書いちゃえ。そう思いました。そこが出発点。伸びしろはすべての人にあると今では断言します。だって『東京普請日和』はけっこう面白い。

作品を読んでくださった皆さま、そしてこれから作品を読んでくださるすべての皆さまに、今はただ感謝するばかりです。

令和の風が後押し――夏山かほる氏

この度は、第11回日経小説大賞を受賞させていただき、ありがとうございます。

平安の人々も時代の枠組みの中で懸命に生きていたことを伝えたいと思い、この八年余り書き続けてきました。平安物でのデビューは難しいと言われたり、他賞の受賞を逃したりしても、その思いで創作を続けました。今年受賞できたのは、新しく吹き始めた令和の風が後押ししてくれたのだと思います。

時として不条理な宮中に、家族を支える職業人として生きる紫式部の成長や苦悩を感じ取っていただければ幸いです。平安といえば、「あはれ」や「みやび」を連想されるかもしれません。本作はフィクションですが、それらとは異なる側面のあることを知っていただくきっかけになればと思います。

作中には、近年の歴史研究の成果や、国文学研究では先行の諸研究の成果を取り入れさせていただきました。それらの方々に感謝いたします。最後に、私の創作活動を支えてくれた家族に感謝したいと思います。

<選評>

辻原登氏 大胆不敵、重層的な展開

「新・紫式部日記」が群を抜いて面白かった。日記文学の傑作、しかも『源氏物語』の作者の日記に新たな日記を捏(でっ)ち上げ、ぶつけるという、これほどの大胆不敵はない。パロディならともかく、真正面からオーソドックスに、とはハードルが高過ぎる。しかし、作者は鮮やかにそのハードルを跳び越え、極上の宮廷物語を物した。『源氏』を構成の中心に据え、それを下支えする本物の「紫式部日記」、それに被(かぶ)せるように架空の「日記」、そしてもう一つの物語『伊勢物語』を、有機的に、歯車のように噛み合わせ、重層的な展開が可能になった。『源氏物語』そのものが、一層の輝きを放って読者に迫って来るという功徳も齎(もたら)された。

「東京普請日和」は前作より小説の奥行らしきものが感じられた。進境が窺(うかが)える。会話の運びの妙は相変わらずだ。

「秘策あり~加藤清正外伝~」は、「秘策」エンジンを駆動させる構成に難あり。「福島の時間」は家族誌として楽しめた。「カーニバル社員」の人物たちは皆躍動して、ユーモアと滑稽が肩を組んで展開するが、クライマックスが不発に終わった。

高樹のぶ子氏 時代の最先端切り取る

「東京普請日和」は前の候補作を越える構えの大きさと現代性で、圧倒的な魅力を見せつけた。登場人物たちの馴れ合うことのない会話が、ひりつき弾み合い、グサグサと読者の心に刺さるのは、乾いた愛があるからだろう。陶芸家の兄と都市工学の弟は血がつながっていないが、オリンピックを控えた普請中の東京で、未来の都市と芸術に挑む。兄は放縦な芸術家タイプ、弟は兄の交友関係に振り回されながらも兄を受け入れ、共に故郷の給水塔のある風景を心の絆にしている。時代の最先端を切り取る、知的芸術小説だ。

「新・紫式部日記」には驚いた。道長の子と紫式部の子を取り替える設定や、清少納言との友愛や交流は、既存の文献知識を覆し、物語を躍動させている。豪腕な力技を認めたい。「カーニバル社員」はありがちな設定と終わり方でテレビドラマを見るようだった。「秘策あり」は語り手自身の謎の扱いにいまひとつ習熟が必要。「福島の時間」は作意なくしみじみ心馴染(なじ)む作品ですが、もっと創る力が欲しいです。

伊集院静氏 会話・展開にリズム感

今回、私は初めて二作を推した。ひとつは織部ルビさんの『福島の時間』。織部さんの静かな小説の作りに魅(ひ)かれた。家族、縁者を見つめる主人公の女性の目に好感を抱いた。今、時流が、派手な物語、エンターテイメント性を求めるが、小説の、文学の世界はそんな単純で狭量なものではない。静謐(せいひつ)の中の戸惑いは才能である。辛抱強く挑み続けて欲しい。もう一点は放生充氏の『カーニバル社員』。こちらは荒削りで、乱暴なタッチだが、作中の、ジャンプに似た可能性を感じた。

今回、受賞作が二作品。湊ナオさんの『東京普請日和』はテンポ、リズム感のある会話と展開には才気がある。前作に比べると格段の上達である。腕が上がったことは日々の執筆の作者の姿勢と精進である。見事だ。夏山かほるさんの『新・紫式部日記』は古典史料の深い闇を浮きぼりにした手法が、小説として読んだ時、恋情、情緒が私にはよく見えなかったが他選考委員からの、充分に行間を見れば読める、という強い推す言葉に、特に異論はナシ、と賛同した。二作とも賞にふさわしいものだ。

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日経小説大賞は日本経済新聞創刊130年を記念して2006年に創設されました。授賞式の様子や応募要項を掲載しています。

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