がんと闘い、派手さより中身重視 プロ野球・赤松真人
引退模様(2)
胃がんの手術を受ける際、まれに手足のまひが残る恐れがあるといわれ、脊髄近くの麻酔を断った。リハビリに至るまで、一層きつい痛みに耐えることになった。そこまでして復活にかけたのに、1軍の舞台は遠いままだった。
無念では……。だが、そこは割り切っていた。「技術不足。プロの力、体ではなかった。もし、自分が1軍に上がっていたら、若手が納得いかないですよ」

自己を見つめる目は冷徹で「ここまでやらせてもらえたのも病気をしたから。そうでなければ、もっと前に引退、というかクビになっていたかもしれない」とすら語る。ユニホームを着ていられた手術後の3シーズンは「ぜいたくな時間だった」と感謝の言葉が続く。
2010年8月4日。横浜(現DeNA)・村田修一が放った中堅越えの打球を追い、フェンスのラバーを駆け上がって捕った。球史に残るホームランキャッチだ。しかし、あのプレーすら、プロの冷静な視点からすると「注目されすぎ」なのだそうだ。
「普通の飛球を追って、ジャンプして捕るのと同じ。途中にフェンスがあったというだけ。フェンスに駆け上がるなんて練習していたわけでもないし、プロに入るような選手なら、誰でもできる。あのプレーで1億円くれるならうれしいけれど、イージーなフライを10個捕る方が大事」
あの年、送球によって走者を刺す10個の「補殺」を記録した。注目してくれるなら、むしろそちらの方に、という。

見た目の派手さより、あくまで中身。一本気な人柄は立命館大時代の逸話にも見て取れる。
進学したちょうどその年、大学は「文武両道」の理想に向けてかじを切り、体育会の学生も単位を取らないと、試合に出られない、というルールになった。それでも「自分は勉強するためでなく、プロに入るために入学した」と言って、履修届を出さなかった。試合に出なければスカウトにも見てもらえない、と思い直し、単位を取り始めたのは3回生になってからだ。
「みんなが大学で勉強するのは就職のため、安定した生活のためでしょう。でも、僕は安定、要らなかったんで」
そのプロ根性からして、若い選手の野球への取り組み姿勢はまだまだ甘い、とみえることがある。
たとえば、退団後に他球団などのトライアウト(入団テスト)を受ける選手がいる。しかも、ひごろ「野球を離れても、いくらでも仕事はある」とうそぶいているような選手に限って、野球に未練をみせがちだ。
「僕からしたら、それは筋違い。こんなに環境がいいところで、今まで何をしていたの、なんでトライアウト受けるのって。それまでにやることがいっぱいあったはずなのに」
命にかかわる病と闘いつつ、日々、現役でいられることの「ぜいたくさ」をかみしめてきた。このコーチの下なら、大成するかどうかは別として、野球に未練を残して終わる選手はいないだろう。
(篠山正幸)
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