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真っすぐなエース、五輪選外が転機に バレー・栗原恵

引退模様(1)

現役最終戦となった5月の黒鷲旗・全日本選抜大会準決勝。JTの一員としてシーズンのラストゲームを終え、コート上で胴上げされると、こみ上げてくるものを止められなかった。

昨季開始時には引退を決めていたものの、2004年アテネ五輪で共に戦ったJTの吉原知子監督に「まだできるでしょ」と翻意を促され、若い同僚たちも「もっと一緒にやりたい」と言う。「ナショナル(日本代表チーム)を離れてもう長い。そんな自分でいいの?」。予想外の反応に感謝しつつ、かえって気持ちは固まった。

元バレーボール女子日本代表 栗原恵さん

「やり尽くして辞めるより、頑張ればもう1年できるという(余力ある)中で次に向かえる。満たされていた」。6月に引退を正式表明。「最後はバレーを楽しめた」と穏やかな表情で長年の選手生活を振り返る。

低迷していた女子バレーボール界に現れた、正統派のアタッカーだった。187センチの長身から繰り出すスパイクやサーブで得点を量産。アテネ、08年北京の両五輪に出場し、同い年の大山加奈さんらとブームをけん引した。しかし、スポットライトを浴びた20代は「真っすぐすぎて不器用」な性格の持ち主には、苦しさを伴う場面も多かった。

高校時代から加入した日本代表は「ふるい落とされる場」であり、不動の主力だった北京五輪の頃でさえ「追われる感覚」は消えなかった。自らの活躍で勝っても、まず口にするのは反省の弁。「エースと呼ばれたらストイックでないといけないのかなと。『決めて当たり前』と勝手にプレッシャーをかけていた」

方向性の違いを理由に、高卒2年目でVリーグのNECからパイオニアへの移籍を志願したことも。「わがままと何度も言われた。でも譲れなかった」。1年間リーグ戦に出られないという当時の規定を承知の上で信念を貫き、事実上パイオニア1年目となった05~06年シーズンで優勝してMVPも獲得。ただ、納得いくプレーを長くは続けられなかった。

「高く跳んで強く打つという武器」の代償は大きく、10年以降に左右の膝を3度手術。リハビリがうまくいかず、銅メダルを獲得した12年ロンドン五輪は選外だった。失意のどん底。以前の「とがった自分」なら耐えきれなかっただろう。ここで「周囲を気にして悪いところに目を向けるのでなく、今の自分を基準にしよう」と切り替えられたことが、息の長いキャリアにつながった。

経験や読みを生かしてコースを狙い、軟打も織り交ぜるスタイルを確立。張り詰めていた気持ちもほぐれ、30歳を過ぎても成長を感じられる瞬間が何よりの喜びとなった。「バレーは常に探究心をくすぐられる。簡単だと諦めるけど、最後までそれはなかった」

今秋に国内であったワールドカップで早速リポーターを務めた。東京五輪への関わり方は未定だが、「最近まで現役だった自分だから、できることもあるのでは」。愚直に向き合ってきた競技の魅力やアスリートの頑張りを少しでも伝えられたら、と考えている。

(鱸正人)

栄光も挫折も経て、ファンに鮮烈な記憶を残しながら、引退していく選手たちの軌跡をたどる。

くりはら・めぐみ 1984年、広島県生まれ。指導者の父のもと小学4年から本格的にバレーボールを始めた。中学2年で兵庫県の強豪中学に単身留学し、山口県の三田尻女高(現誠英高)では高校3冠を達成。日本代表選出後も鋭いスパイクを武器に、2003年ワールドカップの活躍で注目を集めた。04年アテネと08年北京の両五輪に出場し、いずれも準々決勝敗退。VリーグのNECを振り出しにパイオニアやロシア・カザンなど計6チームでプレーした。

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