世界の名匠の映画を配給、柴田駿さん逝く

文化往来
2019/12/18 2:00
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世界の映画人の信頼が厚く、ミニシアター文化を先導した柴田駿氏(1995年)

世界の映画人の信頼が厚く、ミニシアター文化を先導した柴田駿氏(1995年)

フランス映画社の社長として、1970年代から世界の名匠の映画を数多く日本で配給した柴田駿さんが逝った。妻の川喜多和子副社長と共にミニシアター文化を先導した人だった。

テオ・アンゲロプロス、ビクトル・エリセ、ヴィム・ヴェンダース、ジム・ジャームッシュ、ホウ・シャオシェン……。柴田さんが紹介した映画作家を並べると、70年代以降の世界のアート映画の流れが見えてくる。ジャン=リュック・ゴダールの新作・旧作も手がけ続けた。

東京外語大在学中にユニフランス・フィルム駐日代表部で働き始める。パリに留学した山田宏一氏の後任として、日本語版広報誌を編集した。66年には川喜多和子さんが主宰するシネクラブ研究会で自主上映活動を開始。日活が鈴木清順作品の貸し出しを拒むと、幅広い映画人と連帯し、抗議した。68年に和子さんとフランス映画社を創設し、大島渚作品の海外セールスに尽力。76年には世界の傑作を日本で紹介する「BOWシリーズ」を始めた。90年はカンヌ、94年はベルリンと、国際映画祭の審査員も務めた。

「商業的に難しいとされた作品を、しかも一番難しい時期に日本に入れてくれた。彼がいなければ、日本の映画状況はひどいものになっていた」と映画評論家の蓮實重彦氏は振り返る。70年代からの柴田さんの仕事が、80年代以降の日本のミニシアター隆盛を導いた。「エリセやアンゲロプロスを当たり前のように見られる国はあまりない」と蓮實氏。「自分の決めたこと、やりたいことは絶対やる人で、それが不可能とされた時代にやった。そしてゴダールに殉じた」

2014年にフランス映画社が自己破産して表舞台を去ったが、育てた人材は多い。記者もたくさんの映画人を紹介してもらった。何より無数の映画ファンを育てた功績は比類ない。

(古賀重樹)

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