ボルカー元FRB議長死去 最後まで中銀憂える

2019/12/10 5:54
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ボルカー氏は金融危機直後にオバマ大統領(当時)に請われて経済再生諮問会議の議長に就任。金融機関のリスク取引を制限する「ボルカー・ルール」を立案した=ロイター

ボルカー氏は金融危機直後にオバマ大統領(当時)に請われて経済再生諮問会議の議長に就任。金融機関のリスク取引を制限する「ボルカー・ルール」を立案した=ロイター

【ワシントン=河浪武史】8日死去したポール・ボルカー米連邦準備理事会(FRB)元議長は、最後までインフレの再燃と中央銀行の独立を憂慮していた。1980年代に「インフレファイター」として剛腕を発揮した同氏。経済成長には「物価の安定」「健全な金融」「良き政府」の3つが必要だと主張してきたが、今はそのいずれもが揺らいでいると危惧していた。

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「米国は独立したFRBを求めている」。ボルカー氏は8月、そのような題名で、自らの後継者であるグリーンスパン氏らと米紙に寄稿した。批判の的はトランプ米大統領だ。同大統領は「物価は上がらない。ドル高是正には追加利下げが必要だ」と繰り返しFRBに圧力をかける。ボルカー氏には「政策当局がわずかなインフレを許容すれば、真のインフレを招くことになる」と映った。

92歳で死去したボルカー氏は、FRB議長として80年代に公定歩合を20%まで引き上げた。2メートルの長身がもたらす迫力もあって「インフレファイター」と評された。失業率の上昇など副作用も伴ったが、その後の物価と景気の底堅さはグリーンスパン体制に引き継がれ、米経済の復活の礎となった。

政府の一部門にすぎなかったFRBが、強大な権限を発揮したのはボルカー時代からだといえる。79年夏、ボルカー氏は議長就任を打診するカーター大統領に「金融引き締めを進めるがそれでもいいか」と率直に返答した。さらには「FRBの独立性」も求め、それを就任の条件にしたという。

ただ、その後のレーガン政権下では「独立性への挑戦を受けた」とボルカー氏は後に明かす。84年、ホワイトハウスに呼び出されると、レーガン氏との会談の場で首席補佐官から「選挙前の利上げを控えるように」と命じられたという。大統領による「明らかな越権行為」(ボルカー氏)はFRBの歴史に常につきまとう。

87年にFRB議長を退任したボルカー氏だが、81歳だった2009年に再び政策決定の場に復帰する。金融危機直後にオバマ大統領に請われて経済再生諮問会議の議長に就任。金融機関のリスク取引を制限する「ボルカー・ルール」を立案した。

FRB議長として金融引き締めを断行したボルカー氏だが、そこには常に「利上げはデフレに陥る」との批判がつきまとった。同氏は「米国がデフレのリスクに直面したのは1930年代と2008年。いずれも金融危機が原因だった」と断じ、インフレと金融バブルの両方を封じ込めることが長期安定の必要条件だと説き続けた。

プリンストン大の卒業論文に「物価の安定と中銀の独立が経済成長に欠かせない」と書いたボルカー氏は、20代でニューヨーク連銀のエコノミストに起用される。その後、40代の若さで米財務次官として国際交渉の舞台に立つと、固定相場制の崩壊によるドル急落の苦しさを味わった。国際通貨体制の表舞台に立ち続けた同氏は、戦後経済の生き字引といえる。

もっとも、その「ボルカー・ルール」も今年8月に一部緩和された。トランプ政権は金融規制の緩和を選挙公約としており、リーマン・ショックの揺り戻しは早い。ボルカー氏はキャリアの大半を過ごしたワシントンを「公職に仕える者の街から、富と権力の都市へと変わった」と嫌うようになり、最後は生まれ故郷に近いニューヨークで息を引き取った。

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