関西すし店特有? しょうゆツボ、はけで一塗り
とことん調査隊

すし店のカウンターに置かれた「しょうゆツボ」を気にしたことはあるだろうか。客が備え付けのはけを取り、ツボに入っているしょうゆをネタにさらっと塗る。関西の伝統的なすし店では珍しくない光景だ。ただ、関東出身の記者はこれまで、小皿に差したしょうゆに直接付けて食べてきた。どうして違いがあるのか調べてみた。
「そうなんですか」。すしの歴史や文化に詳しい、清水すしミュージアム(静岡市)の職員に関西のしょうゆの付け方について尋ねると、意外な反応が返ってきた。聞いたことがなかったという。記者は日本の東西で付け方が分かれているのかと思っていた。どうやらしょうゆツボ方式は全国的に珍しいようだ。
まず、すしの歴史から探ってみた。諸説あるが、現在の握りずしが生まれたのは江戸時代後期とされる。当時は東京湾でとれた新鮮な魚介類を利用した大衆料理だった。冷蔵技術が未発達のため、ネタが腐りにくいよう、あらかじめしょうゆなどで味付けをしていた。
食べる直前にしょうゆを付けるようになったのは、明治時代末期から戦後にかけてとみられる。「冷蔵技術が発達し、様々な方法でしょうゆを出すすし店が現れた。しょうゆツボが登場したのも同時期ではないか」。清水すしミュージアムの名誉館長を務める愛知淑徳大学の日比野光敏教授は指摘する。
では、しょうゆツボが関西以外の地域であまり見られない理由は何だろうか。ツボが登場したと推測される明治末期から戦後にかけてできた老舗すし店に聞けば分かるかもしれない。1907年(明治40年)創業の「中央市場 ゑんどう寿司」(大阪市)の遠藤暁社長に疑問をぶつけた。
4代目にあたる遠藤社長もはっきりした理由は分からないという。ただ、「小皿のしょうゆは使いきれず、余ってしまうことが多い。『もったいない』と感じる店主が多かったのでは」と推測する。そうか、関西の商人の合理的な気質が背景にあるのか。ほかのすし業界関係者からも同じような意見を聞いた。
すし店の個別事情もありそうだ。ゑんどう寿司の職人はシャリが熱いうちに短時間でさっと握る。魚市場の近くで営業し、忙しい卸売業者などに提供するなかで生まれたスタイルだ。握る時間が短いためシャリが柔らかく、「はけでしょうゆを塗ったほうが崩れにくくて食べやすい」(遠藤社長)。
食材を大切にする姿勢と柔らかいシャリを食べやすくする工夫――。おぼろげながら答えが見えてきたものの、気になる点が残っている。江戸前のすし店ではしょうゆやみりんなどからつくった「煮切り」を、職人がはけを使ってネタに塗ることがある。関西ではなぜ、客が自らしょうゆツボにはけを入れて塗るのだろうか。
日比野教授が興味深い仮説を披露してくれた。かつて大衆料理だったすしは高度経済成長期以降、関東を中心に高級料理としてのイメージが広がった。所得増加に伴って外食を楽しむ消費者が多くなるなか、職人がはけで煮切りを塗る方式が「本場」として受け入れられた。一方、しょうゆツボ方式は「手ごろさ」の象徴となり、関西以外では姿を消していったのだという。
とはいえ、しょうゆツボは関西でも減っているようだ。2015年創業の「鮨 しお津」(大阪市)の塩津皓路店長は「最近は衛生面を気にするお客が多い」ことを理由に挙げる。回転すし店では1滴ずつ出せるしょうゆ差しも増えている。日比野教授によると、すしのイメージはさらに変わる可能性がある。高級感が薄れ、大衆料理に戻る可能性だってある。しょうゆツボが見直されて全国に広まる未来もあるかもしれない。
(佐藤遼太郎)

コラム「関西タイムライン」は関西2府4県(大阪、兵庫、京都、滋賀、奈良、和歌山)の現在・過去・未来を深掘りします。経済の意外な一面、注目の人物や街の噂、魅力的な食や関西弁、伝統芸能から最新アート、スポーツまで多彩な話題をお届けします。