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田舎と都会、それぞれ魅力 目線変えれば景色一変

実家のある群馬県桐生市の赤城山麓は典型的な北関東の農村地帯だ。唱歌「故郷(ふるさと)」の歌詞のようなのどかな自然が残り、都会とは違ったゆったりとした時間が流れる。そこで大学へ入学するまでの20年近くを過ごした。

当時は何かと周囲を気にし、他人と違うことや目立つことをしないよう気をつけなければならず、人間関係がわずらわしく思え、田舎独特の窮屈さを感じていた。そしてとりたてて何かがあるわけでもない刺激の少ない日常に飽き飽きし、一日も早くこの地から出たい、と願っていた。今考えてみれば、一生懸命に勉強などに取り組んだのもこの場から一刻も早く離れ、違う世界に足を踏み入れたいという思いが根底にあったからかもしれない。

群馬の実家付近の里山を走る

先日、実家近くのなじみの道で石碑を見つけた。銘文には250年ほど前にこの場所で洪水があり、亡くなった人を悼むものだった。今まで幾千回となく通った道なのに初めて気づいたのだった。このように今までとは異なる目線で田舎の風景を見ると、不思議なことにあれほど不満に思っていた周囲の様子も全く別のものに思えてくる。

何の変哲もないと感じていた田畑と里山の織りなす田園風景は少年時とは違った輝きを放つように感じる。そして気ままにこの農道や里山を駆けているだけで心がどんどん前向きになる。そして煩わしいと感じた人間関係もこの歳になると案外素直に受け入れることができる。

一方、実家に比べれば東京の寓居はいかにも狭く、生活するには物価も高い。街を歩けば人と人との間隔が近く、何だか息苦しい。電車も車も混雑していることに気が立つことしばしばだ。

人は少年期に過ごした町のサイズをいつまでも快適なものと感じる傾向にあるという。その観点から考えればこの街は根本的に私には合わないのかもしれない。だが東京は圧倒的に面白い。文化施設やスポーツイベントなどさまざまな催し物が刺激を与えてくれ、いつも新鮮な何かにあふれている。

インターネットが発達し、以前ほどは地方と都市部の格差はなくなったとはいうものの、大都会が発散する熱はこの街に住んでみなければ気づかないだろう。時には疲れるが、何ともいえない魅力を感じるのも確か。実はトレイルランニングという自然を体感するスポーツの魅力をより一層肌で感じるようになったのは、都会に住むようになってからだ。そのギャップで自然に身を置くことを以前より増してありがたく思い、ますますその魅力にとりつかれたのである。

実家を訪れる機会が増えてくると、地方の良さも再認識する。それでも5日も過ごすと退屈で東京が何となく恋しくなる。結局どこに住もうが、良し悪しはあり、「住めば都」という、その良さも悪さも含めて受け入れられる場所こそが自分にとってのついのすみかなのかもしれないと思う。

(プロトレイルランナー)

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