N響初指揮のケント・ナガノ ルーツ回帰にかける思い

日系米国人指揮者ケント・ナガノさんが2020年6~7月、NHK交響楽団(N響)に初めて客演する。国際選抜チームのサイトウ・キネン・オーケストラを例外とすれば、国内の常設プロ楽団とは1986年の「サントリーホール オープニング・シリーズ」で新日本フィルハーモニー交響楽団を指揮して以来、34年ぶりの共演となる。
2019年11月初旬。音楽総監督を務めるドイツ・ハンブルク歌劇場のオーケストラ(ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽団)と日本ツアー中だったケントさんを東京都内のホテルに訪ね、N響と日本初演するイェルク・ヴィトマンさん(1973ー)の近作、オラトリオ「箱舟」の話を中心に聞いた。
家族のルーツは熊本県
ーーハンブルク・フィルと11月8日、アクロス福岡シンフォニーホールを訪れることに特別な思いがあるようですが。
「私の家族のルーツは熊本県です。ここ数年、熊本が大きな地震や豪雨災害に見舞われるたび、心を痛めてきました。とりあえず熊本から遠くない福岡で公演、私たちのお見舞いや連帯の気持ちをお伝えするとともに、いくばくかのチャリティーに充てようと思いました。ピアノのソリスト、辻井伸行さんとはハンブルクで共演してから日本ツアーに出たので、芸術的にも手ごたえのある公演だったと思います」
ーープライベートではピアニストの児玉麻里さんと結婚、お嬢さんでピアニストのカリンさんともども毎年、日本の児玉家でお正月を過ごしておられるにもかかわらず、国内のオーケストラとは疎遠のままでしたね。
「意識して避けてきたわけではありません。展開は、突然に訪れるものです。故郷の米西海岸を去って欧州に渡った若い日からハンブルク州立歌劇場、カナダのモントリオール交響楽団の2か所を足場に活動する現在にいたるまで、私は特定のパートナーシップを長期間、じっくりと深める道を歩んできました。世の中には"ジェット・セット"と呼ばれ、毎シーズンほぼ同じレパートリーで世界の楽団を客演して回る指揮者もいますが、私は1カ所に集中するタイプです。不幸にして多くの出会いを逸してきたともいえるなか、日本のN響と新しい仕事を始める機会を授かったのは大きな喜びです」
オーケストラは社会のメタファー

「オーケストラは面白い組織です。所属する社会のメタファー(隠喩)であると同時に、それぞれに偉大な才能と個性を備えた演奏家たちが内部でもう一つの社会を構成し、外の大きな社会に向けて、音楽のメッセージを発信します。N響では楽員の世代交代が進んでいるそうなので、私の知識や経験と若い彼らのエネルギーを掛け合わせ、良い方向に展開できればと期待します」
ーー2020年6月27日と28日、NHKホールのN響定期演奏会でのマーラー「交響曲第9番」に加えて、7月4日、サントリーホールの特別演奏会ではヴィトマンさんのオラトリオ「箱舟」を指揮されます。ヴィトマンさんとはケントさんがミュンヘンのバイエルン州立歌劇場音楽総監督だった時期の2012年、大作オペラ「バビロン」の世界初演でも手を組まれました。
「もう20年近く、協働作業を続けています。ヴィトマンさん自身が巨大なエネルギーの源泉であり、中世・ルネサンス以前の民俗音楽から現代最先端の作品までを知り尽くし、汎ヨーロッパ的あるいは全人類的な音楽の枠組みを提示します。『箱舟』は2017年1月13日、ハンブルクの新しいコンサート会場『エルプフィルハーモニー』の開場記念にハンブルク州立歌劇場が委嘱、私の指揮で世界初演した近作です。ハンブルクにはJ・S・バッハ(大バッハ)からブラームスにかけての宗教音楽の蓄積があり、オラトリオの誕生には適した街です。ハンブルクの新しい名所となったエルプフィルハーモニーの形が船を思わせるのを見て、ヴィトマンさんは旧約聖書の『ノアの方舟』に想を得たオラトリオを書きました。神と人間の対立や人間どうしの愛などを描きながら地球環境の破壊や内戦をはじめとする現代社会の矛盾や課題に目を向け、さらに未来を目指すために大人の独唱者、合唱団だけでなく子どもの声が大活躍、最後は『我らに平和を与えたまえ(ドナ・ノービス・パーチェム)』で閉じます。世界初演以来、一度も再演されなかった理由は大編成かつ演奏至難な点に求められるでしょうが、来年6月半ばのミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団に続き、史上3度目の演奏が日本初演として、N響の手で実現する意味は大きいといえます」
マーラーとヴィトマンは問題意識を共有

ーーマーラーの「第9」はボストン交響楽団副指揮者だった1984年、急病となった音楽監督(当時)の小澤征爾さんに代わり、ぶっつけ本番で指揮してセンセーションを巻き起こして以来、ケントさんの「勝負曲」でした。
「マーラーの第9交響曲は米国人にとって、興味深い作品です。1908年にニューヨーク・フィルハーモニックと初共演したマーラーは活動の中心をウィーンから米国、オペラからコンサートへと移しつつあり、意欲的な指揮活動を展開しようとしますが、その斬新な企画はニューヨークの聴衆とかみ合わず、かなりの妥協を強いられました。それでも20世紀の音楽の不透明な未来を見据え『どうやって先に進めば良いのか?』を自問自答しつつ、この曲を1909年に書き上げたのです。ヴィトマン作品との間には100年あまりの開きがありますが、『不透明な時代をどう生き抜くか?』という問題意識を共有しており、2曲ともに聴かれることをお勧めします」
(聞き手は音楽ジャーナリスト 池田卓夫 撮影 瀬口蔵弘)
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