東京五輪のマラソン開催地が東京から札幌に変更された。緯度が高い分、気温が下がり高温多湿の東京に比べれば選手の安全性が高まりほっとした半面、どうも釈然としない思いが残る。
今回の発端は高温で開催された9~10月のドーハ世界陸上のマラソンでリタイアが多数出たことだった。だが東京の暑さは多くの人々が危惧していたことからわかるように十分予想できたのだから、ここに至って国際オリンピック委員会(IOC)が気付いたというなら思慮が浅いと言わざるを得ない。
開催地の東京都との調整なしにIOCがこの変更を進めたことが注目された。なぜこのような事態になったのだろうか。五輪のような大型イベントでは種々の複雑な問題をクリアしなければならない。単純に事が進まないのは理解できるけれど、今回の決定に違和感があるのは競技や選手に対し主催者の「愛情」を感じられないことが根本にあるからではないだろうか。
スポーツ大会は、式次第をつつがなく終えるのが目的の儀式や式典ではない。競技そのものやアスリートへの共感といったある種の「思い」を持ってかかわらなければいびつなものになってしまう。それは五輪といえども例外ではないだろう。
選手に対して親身になり判断を下せば、この時期にこのような結末には至らないように思える。選手や現場のスタッフとかけ離れた次元の話となっているようで悲しい。
暑さ対策として東京では特殊な舗装の道路整備などに投資したと聞くし、マラソンのコース沿道の関係者を含め東京での開催に向けてこれまで注いできた情熱の高ぶりは想像に難くない。そう考えると今回被った痛手はあまりにも大きく、せめて納得できる説明と謝罪がほしい。
私自身、大会の規模こそ違うものの同じような経験がある。2012年のUTMBでのこと。当時43歳の私はこのレースを最後にすると決意しての出場だった。大会前日に荒天の予想から160キロメートルのレースが100キロメートルに短縮され、コースもアルプスの激しいアップダウンから里山をめぐるゆるやかなものへ変わった。
これはマラソンの前日に突然10キロメートル走に変更すると言われたようなもので影響は甚大だ。人間は100キロメートルまでは体力で乗り切れるが、そこからの60キロメートルは経験やマネジメント力、忍耐力が試される。肉体的に全盛期を過ぎた自分はそこに勝負をかけていたのだから、レース前に望みを絶たれ、心は打ちのめされた。
だが大会前日に主催者は「選手を危険にさらしたくはないが、一方で世界中から集った選手たちの努力を発揮する場をつくりたかった」という苦しい胸の内を正直に明かした。真摯な説明で私も含め多くの選手は納得してスタートラインに立つことができたし、主催者のスポーツへの愛情や選手への敬意を強く感じた。
オリンピックを政治などと全く切り離して考えることは難しいにしても、主催者にはスポーツを心から愛する気持ちをより一層持ってほしい。自国で開催される五輪。成功を心から願っている。ここからの1年弱は文字通り「アスリートファースト」の対応を期待したいと思う。
(プロトレイルランナー)
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メディアではあまり取り上げられていないが、こ
実家のある群馬県桐生市の赤城山麓は典型的な北関東の農村地帯だ。唱歌「故郷(ふるさと)」の歌詞のようなのどかな自然が残り、都会とは違ったゆったりとした時間が流れる。そこで大学へ入学するまでの20年近く
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