水俣病風化に危機感 市議会委員会名に「公害」消える

2019/11/4 18:00
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地元では病名変更を求める声も上がる(熊本県水俣市)

地元では病名変更を求める声も上がる(熊本県水俣市)

水俣病が起きた熊本県水俣市で、問題の風化への危機感が患者らの間で広がっている。今年7月、市議会特別委員会の名称から「公害」の2文字が消え、8月には原因企業チッソの傘下工場の閉鎖も決まった。公式確認から63年、最終解決を目指した特別措置法の成立から10年を経て患者の高齢化が進む中、関係者は「悲劇の記憶を薄れさせてはならない」と訴える。

「一度でいいから、母ちゃんと呼んでほしかった」。水俣市で10月19日に開かれた犠牲者慰霊式。患者・遺族代表で認定患者の上野エイ子さん(91)は、胎児性水俣病のため2歳で亡くなった娘を思い、声を震わせた。

上野さんが「祈りの言葉」を述べたのは1999年以来2回目。「この先長くない。最後にもう一度娘に謝りたい」。再び志願した理由を、上野さんはこう打ち明ける。

56年に公式に確認された水俣病は患者の高齢化が進む。熊本、鹿児島両県がこれまでに認定した患者2283人(9月末時点)のうち1949人が死亡。他方で未認定患者を一時金などで救済する95年の政治決着や、2009年の特別措置法から取り残された人も多く、損害賠償請求訴訟も続いている。問題の終結はなお見通せないままだ。

そんな中、水俣市議会は7月、水俣病対策などを話し合う「公害環境対策特別委員会」の名称から「公害」の2文字を外した。提案した議員は「環境全般を幅広く議論する必要がある」と理由を説明。「公害地域としての責任と義務を考えるべきだ」と反対意見も出たが、結局賛成多数で可決された。

小泉環境相(左)との懇談で健康調査の早期実施などを訴える患者側(10月19日、熊本県水俣市)

小泉環境相(左)との懇談で健康調査の早期実施などを訴える患者側(10月19日、熊本県水俣市)

「水俣病は公害の原点。それなのに外したのは一刻も早く水俣病から遠ざかりたいという気持ちの表れだ」。未認定患者団体「水俣病被害者互助会」の佐藤英樹会長(64)は批判する。

地元は今も「家の外で水俣病を話題にしちゃいけない空気」(佐藤さん)に包まれ、誰がどの制度で救済されたのか、正確には分からない。だが「何か悪いことをしたわけじゃない。負い目を感じて引っ込んではいられない」という佐藤さんは、被害に応じた補償が済むまで「水俣病は終わらない」と訴える。

もっとも、水俣病から距離を置こうとするかのような動きはじわじわと広がっている。今春、チッソ水俣本部近くの場所に、「水俣病」を「メチル水銀中毒症」に改称するよう求める看板が一部住民により掲げられた。そろそろ「公害の町」のイメージを消したい――。そんな思いを抱く人も少なくない。

チッソは8月、電子部品製造からの撤退と、水俣市内の工場閉鎖を決めた。地元では雇用や地域振興に悪影響が出るのではないかとの懸念が出ている。

熊本学園大の花田昌宣教授(社会政策)は「水俣病は一部地域だけの事件ではなく、過去の問題でもない」と指摘したうえで「国や県が認定基準を緩和するなど誠実な補償を行い、長引く問題に終止符を打つべきだ」と話している。

■水俣病患者だった亡き父の足跡、後世に
1970年代にチッソとの自主交渉を率いた水俣病患者、故川本輝夫さんの長男、愛一郎さん(61)は水俣病の語り部として被害の悲惨さを若い世代に伝えるとともに、輝夫さんの日記をデジタル保存し、後世に残すつもりだ。
自宅に設けた「資料館」で写真を眺める川本愛一郎さん(10月15日、熊本県水俣市)

自宅に設けた「資料館」で写真を眺める川本愛一郎さん(10月15日、熊本県水俣市)

 愛一郎さんは「水俣病の名前は差別や偏見、地域の分断の歴史まで包含したものであり、単なる病名ではない」と指摘。「立場が違えば忘れたいという人がいることも理解できるが、なかったことにしてはいけない」と語る。
 輝夫さんは潜在患者の掘り起こしや座り込みなどの活動で補償を勝ち取ったが、日記では「俺にどんな足跡がしるせたというのか。偽善とハッタリと欺瞞(ぎまん)ではなかったのか」と苦悩をつづっていた。愛一郎さんは自宅を改築して「資料館」をつくり、輝夫さんの写真や肉声、原稿など数百点を展示している。「大事なのは100年後の子どもたちに何を残すかだ」。遠い解決を見つめ、父の足跡の継承に取り組んでいる。
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