第1回松喬三昧 「盗人松喬」余情豊かに(演芸評)

関西タイムライン
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2019/11/1 7:00
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松喬が演じる不器用でお人好しの盗人は、一銭も盗めず与える側になる

松喬が演じる不器用でお人好しの盗人は、一銭も盗めず与える側になる

人には持って生まれた容貌や性分がある。それを強みにできるのも芸の内だ。剽軽(ひょうきん)なクマさんのような風貌の笑福亭松喬は盗人ネタを得意にし誰よりはまる。2年前の襲名後初の独演会「松喬三昧」(10月26日・大阪松竹座)はその盗人噺(ばなし)をあえて3席披露。ひきこんだのは悪みたいで悪じゃない男らのかわいさや優しさだった。

落語の盗人は必ず失敗する。「転宅」ではしのんだ家で女の口車にのり夫婦約束に有頂天。あげくに金をとられドロンされるお粗末さ。「子盗人」では赤ん坊の相手をするうちに台所の穴に落ちて捕まる滑稽さだ。松喬の盗人は「わーい、まっちゅぐ歩いたでちゅね」と赤ん坊を満面笑顔であやす。どちらもドジな男らをほのぼのと描き、飲み食いの演技のリアルさを共感の隠し味にして巧(うま)い。

初演の「泥棒と若殿」は山本周五郎原作の短編を自ら落語化。ボロ屋敷に盗みに入った男が金も家財も飯もない侍に同情。「死んだらあかん」と飯を作って世話を始める。実は侍は幽閉された若殿。男は苦労人のいい奴で奇妙な共同生活の中で友情を育んでいく。松喬は2人が正直さで心が通い合う過程を笑いも交えて紡ぎ、汁かけ飯など素朴な食の旨(うま)さにうれしい実感をこめる。やがて生きる甲斐と人の道に目覚めた若殿。別れは切なく、互いを慕うまっすぐな思いと感謝を吐露、松喬の新境地にふれる余情の深さであった。

どの盗人も一銭も盗めずむしろ与える側。松喬に盗人噺が似合うのは、富や権力とは無縁の不器用でお人好(ひとよ)しの人間を地続きの心根で愉快に描けるからだろう。「盗人松喬」を全面に出した今回、芯の太い語りでまさに落語の本質を届けたのだ。

(演芸ジャーナリスト やまだりよこ)

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