伽藍再興へ法統を継ぐ 薬師寺・興福寺に新トップ
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2019/11/1 7:01
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加藤朝胤・薬師寺管主 かとう・ちょういん 愛知県出身。1972年、日本大法卒。同年入寺。

加藤朝胤・薬師寺管主 かとう・ちょういん 愛知県出身。1972年、日本大法卒。同年入寺。

森谷英俊・興福寺貫首 もりや・えいしゅん 群馬県出身。1974年、法政大法卒。公務員などを経て80年入寺。

森谷英俊・興福寺貫首 もりや・えいしゅん 群馬県出身。1974年、法政大法卒。公務員などを経て80年入寺。

法相宗の2大本山である奈良市の薬師寺、興福寺でトップが相次ぎ交代した。薬師寺は空席だった管主に8月16日、執事長だった加藤朝胤氏(70)が就任。興福寺は30年間務めた多川俊映貫首に代わり副貫首だった森谷英俊氏(70)が9月1日、昇格した。古(いにしえ)の伽藍(がらん)の復興プロジェクトが進む両寺で法統を継ぐ2人に思いを聞いた。

法相宗は南都六宗の1つ。目に映る世界は、実は自分の心の働きが作り出すイメージであるとする古代インド由来の思想「唯識」を継承する。宗派の管長を両寺が交互に務め、開祖である慈恩大師の祥月命日、11月13日に行う法要に合わせ3年ごとに交代する。今年は興福寺から薬師寺へと引き継ぐ年に当たる。

■東塔修理に12年

薬師寺では国宝・東塔(8世紀)が来春、12年がかりの解体修理を終えて落慶法要を行う。興福寺では昨秋、伽藍の核となる中金堂が約300年ぶりに再建されたばかりだ。

薬師寺の管主は前任者が2018年5月に任期途中で辞任。職務を代行し、前任者の任期終了を持って就任した加藤新管主は「本当に自分でよいのかと自問した。辞退した方がよいのでは、との思いも一瞬頭をよぎった。謙虚さを忘れず務めたい」と語る。

東塔の解体修理は09年に始まった大事業だ。「12歳以下の子供は東塔の姿を知らない。1300年間の祈りが込められた美しい姿を大勢の人に見てほしい。こんな大修理はそうあるものではない。巡り合えたのはまさに縁なのだろう」

落慶法要の後、釈迦の生涯を描く「釈迦八相」のブロンズ製レリーフを設置し、改めて総供養を21年秋に行う。前半生にあたる「入胎」「受生」「受楽」「苦行」の4点で、制作は彫刻家の中村晋也氏。西塔には後半生の4点が同氏の手で既に奉納されている。

薬師寺は「写経の寺」といわれる。16世紀に兵火で焼亡した白鳳伽藍の復興を目指し、約50年前から写経による勧進に力を入れている。奉納された写経は約870万巻。再建した堂宇に納める。東塔にも収納できないか調べたところ、2階に10万巻を納めることが可能と分かった。「重量は約7トンあるが問題はない」と加藤管主は話す。

「東塔大修理に大勢の方々が情熱を傾け、成就を願ってくれた。私は人生という旅のツアーコンダクターとなり、先頭に立って、幸せづくりを目指して一生懸命、旗を振る」決心だ。

■「縁」で仏門入り

興福寺の森谷新貫首は9月2日の就任会見で「若い僧も増えている。教学復興に向け外部研究者の助力も得て、『般若心経幽賛』など今ではあまり知られていない経典の普及に努める」と抱負を語った。多川前貫首は新設の役職「寺務老院」に就き、助言にあたる。

森谷貫首は40年前に仏門に入った経緯について「縁としかいいようがない」と振り返る。体調が優れず公務員を辞め、たまたま訪れた興福寺の境内で声を掛けた僧が多川前貫首だった。「『仏教は人を救えるのか』との私の問いに、アカデミックな語り口で哲学的に答えてくれた」。それが縁で入寺し、執事長や副貫首として前貫首を支えた。

同寺も天平伽藍の復興に取り組む。「25年間の第1期計画が23年度に終わる。2期を策定して22年に発表したい」。さらに五重塔(国宝、15世紀)の修理も視野に入る。詳細は今後の調査次第だが、伽藍復興と調整しながら進める予定だ。

森谷貫首は現代を「加速度的に変化する社会。気を許すと取り残されたような気持ちになる」と表現する。「奈良を『原点に返って再出発できる地』にしたい」との思いには、若き日の体験が重なるのだろう。

(編集委員 竹内義治)

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