京都とカメラ 作家 黒川博行

エッセー
2019/11/10 2:00
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わたしは財布、クレジットカード、携帯電話という"お出かけ三点セット"を持ったことがない。ついでにいうと、カメラというものも幼少のみぎりより所有したことがない。そもそも機械オンチである上に"ものごとを記録して、あとあとの記念にしよう"とか"撮った写真を誰かに見せたい"という概念が頭にない。

だから、写真を撮られるのも苦手で、旅行や飲み会のとき、はい、みなさんで集合写真を撮りましょう、というのが理解できないし、なにかしらのインタビューや対談でカメラマンにあれこれポーズをとらされて、何十枚と同じような写真を撮られるのも、いやでいやでしかたない(しかしながら顔は笑っている。おかしくもないのに、笑ってください、といわれるから)。

――ついでにいうと、三十数年前、単行本のインタビューと撮影で、カメラマンに「目線をください」といわれた。

メセン……?

少し考えて、視線のことだと気づいた。たぶん業界用語なのだろうが、たいそう違和感を覚えた。業界の符牒(ふちょう)ならともかく、日本語に"mesen"などという薄気味わるい言葉はない。がしかし、メセンはその後、日本中に跋扈(ばっこ)した。まっとうな言葉である"視線"が排斥され、メセンがのさばった。残念ながら、いまは広辞苑にも大辞泉にも「目線」が載っているし、新聞記事でも見かける。わたしは絶対に使わないが。

――話が逸(そ)れた。カメラだ。

わたしとちがい、理科系のよめはんはカメラが大好きで、一眼レフカメラを四、五台と、望遠や広角レンズを十本あまり持っている。日本画家のよめはんは月に一、二回、朝から祇園の料理屋へ行き、数人の画家で舞妓(まいこ)を招く写生会に参加しているのだが、写生だけではなく、これらの器材を使って撮影もする。よめはんによると、祇園の花見小路あたりには押すな押すなのアマチュアカメラマンがいて、通りかかった舞妓や芸妓(げいこ)を撮影しているという。

「普段の日でも三、四十人はいるかな。一月七日の祇園甲部の始業式なんかになると、歌舞練場から花見小路まで、カメラマンでぎっしり埋まってる。八月一日の八朔(はっさく)もそう。芸舞妓がみんな黒紋付の正装でお茶屋の挨拶まわりをするから、それを撮ろうとして、ほんまにすごい混雑。テレビや新聞のカメラマンも入れて、五百人は集まるのとちがうやろか」

「平均年齢はどれくらいなんや」

「六十は超えてると思う。定年退職したひとが多いし、親切やで」

彼らの中にはよめはんが舞妓を描く日本画家だと知っているひとも多く、個展にもたくさん来てくれるという。

で、今年の八朔、京都の友だちの新築祝いを兼ねて、よめはんとふたり、わたしがカメラバッグを提げて祇園へ行ってみた。なるほど、聞きしにまさるひとだかりだ。大きいお茶屋の前には二重、三重のカメラマンの列ができていて、歩くにもひと苦労する。

と、「一力」の近くでよめはんが「黒川先生」と呼びとめられた。「こっち、こっち」と列の中から手招きする一団がいる。そばへ行くと、「先生、ここから撮りはったらよろしい」と、よめはんに場所を譲ってくれた。なるほど、おじさんたちは親切だ。

「ご主人ですか」

「そうです。よめはんがお世話になってます」

両手をそろえて頭をさげた。わたしは八方美人だから、とりあえず愛想だけはいい。よめはんはたくさん写真をとってご機嫌だった。

十月――。いつも高血圧の薬を処方してもらっているクリニックへ行き、診察室に舞妓の写真が掛かっているのが眼にとまった。

「センセ、舞妓が好きですか」

「撮影会に行ったんです」

最近、京都の寺やホテルで舞妓の撮影会が開催されているという。

「舞妓もきれいけど、センセの腕もプロはだしやないですか」

「わたし、〇〇オールドレンズ同好会に入ってます。黒川さんもいかがですか」

「オールドレンズどころか、ニューレンズもスマホもガラケーも持ってませんねん」

「ほう、いまどき珍しい」

「いっぺん、センセとお茶屋遊びをしてみたいですね」

「…………」

先生は話に乗ってこなかったが、世にカメラ好きは多いと、あらためて実感した。

 くろかわ・ひろゆき 1949年愛媛県生まれ。著書に「破門」(直木賞)、「後妻業」「疫病神」「カウント・プラン」など。
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