8年間のドラギ体制で欧州中央銀行(ECB)は2つの点で変わった。まず金融政策が柔軟になり、欧州で「禁じ手」とされた国債購入などにまで踏み込んだ。さらに金融緩和に慎重なドイツなど北部欧州勢が力を失った。保守的な「ドイツ型」から現実主義的な「米国型」への転換――。そのパラダイムシフト(激変)が域内の亀裂の遠因になっている。
政策面の変質は明らかだ。ドイツ連邦銀行をモデルに設立されたECBは、トリシェ前総裁までドイツ流の政策を模倣してきた。戦前の超インフレで国民が困窮した結果、ナチスの台頭を許してしまったというのがドイツの歴史観。それゆえ将来のインフレにつながりかねない大胆な金融緩和には二の足を踏んだ。
だがドラギ体制で政策スタンスは一変し、マイナス金利や量的緩和などに果敢に取り組んだ。
米国で博士号を取得し、米投資銀行での勤務経験もある。フィッシャー米連邦準備理事会(FRB)元副議長やサマーズ米元財務長官との交流も深い。実験的な政策をいとわないFRBの影響を受けたのは間違いない。
政策の軸がずれたことで、主役だったドイツやオランダなどは非主流派に転落した。だから恨み節が漏れる。「効果もわからない緩和なんてすべきでない」。あるいは「市場の催促に屈して必要のない金融緩和に踏み込んだ」との批判である。
ドラギ氏の失点は北部勢を「抵抗勢力」と位置づけ、妥協点を探らずに強引に金融緩和を推し進めたこと。修復が難しいほど亀裂を深め、過剰な緩和となったのは否めない。
「ユーロは独マルクと同じように強い通貨となる」。90年代、コール独首相はこう宣言して単一通貨ユーロの導入に動いた。それが裏切られ、ECBが緩和主義者に乗っ取られた――。そんな実感をドイツ国民は抱く。
調整能力があるとされるラガルド次期総裁は、渦巻く不信感を払拭できるのか。ECBの信認が揺らげばツケは大きい。(欧州総局編集委員 赤川省吾)