国語も「トリセツ」重視? 文章の海は豊かなのに

風紋
コラム(社会・くらし)
2019/10/20 2:00
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読書の秋、図書館や書店で心の糧に出会いたい

読書の秋、図書館や書店で心の糧に出会いたい

「トリセツ」がブームだという。取説――取扱説明書を略した言葉だが、昨今はものごとの扱い方、人との接し方などに当てはめて、なんでも「○○のトリセツ」と言ってみせる。

そこにあるのは「説明」と「対策」だ。じっくり考えたり余韻に浸ったりするより、すぐに役立つこと、実用的なことに走りがちなのが現代ではある。

国語教育も、それと共振しているらしい。

2022年度から実施される高校の新学習指導要領で、文部科学省は国語の選択科目を「論理国語」「文学国語」「国語表現」「古典探求」に再編成した。文章を論理的、実用的なものと、感性や情緒に訴えるものに区別した格好だ。

文学も尊重する、と文科省は言うが、実際には、文学作品に親しむ時間は相対的に減るだろう。入試改革でも実用文への傾斜は避けられまい。

20年度から始まる大学入学共通テストのモデル問題では「駐車場の使用契約書」が登場して話題になった。これを読ませ、貸し手が急な値上げを通告してきた場合にどの条文の、どんな点について質問すべきかを尋ねるものだった。

とことん実用性重視、トリセツ読解に走った作問である。こういう転換の背景には、若者に基礎的な読解力をつけさせないと人工知能(AI)が進歩する時代に勝ち残れない、という危機感があるようだ。

たしかに読解力不足は深刻だが、いささか前のめりではないか。批判が噴出しているのも当然だろう。

人が困ったときに頼りになるのは、法律や契約書を読む力であると同時に、すぐれた文芸や音楽や絵画を受け止める力だ。ほんとうに途方にくれたときには、そちらのほうが勇気をもたらすことがある。

短歌を1首挙げておこう。「渡らねば明日へは行けぬ暗緑のこの河深きかなしみの河」(小島ゆかり)。たったの31音が、人の胸を強く打つ。

そもそも、文章表現という海を、「論理」と「文学」にすっぱり切り分けること自体、それこそ論理的ではあるまい。

「物語」と「非物語」の別はあるにせよ、評論や批評、ルポなどのジャンルは論理的かつ文学的だ。社会学者の清水幾太郎が名著「論文の書き方」で説いた「論文」とは、哲学、思想、文化などの「知的散文」のことだった。

思い出すのは、文科省が15年6月に出した国立大改革の通知である。

教員養成系や人文社会科学系の学部について「組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換」を促し、「文系つぶし」と批判された。いまの動きと一脈通じていよう。

時代や社会の要請というともっともらしいが、世の中は多様だ。読書の秋。人々は書店や図書館で、物語に、詩歌に、知的散文に心の糧を求める。文章の海はじつに豊かである。

(大島三緒)

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