画家「呉春」雅号誕生時期に光(展覧会評)

関西タイムライン
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2019/10/11 7:00
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京都の裕福な金座役人の長男として生まれ、20代初めから与謝蕪村に俳諧と絵を学び、「月渓」と称した人物がいた。月渓は蕪村から才能を評価され、多くの門人やパトロンに知られるようになる。その頃、京都島原の太夫雛路(ひなじ)を娶(めと)ってもいる。月渓こと松村豊昌の20代は、才能と人に恵まれて順調そのものだった。

呉春「平家物語大原小鹿画賛」(1784年、逸翁美術館蔵)

ところが月渓が30歳だった天明元年(1781年)、3月に妻が海難事故で死亡、8月に父が亡くなる。激しく落胆する月渓を見かねた蕪村らは、京都から池田への転居を勧めた。呉服里(くれはのさと)とも呼ばれていた池田には蕪村の門人たちがいたからだった。

そして、この池田で月渓は癒やされた。ここで新春を迎えたことを機に「呉春」と称するようにもなり、8年程を池田で暮らした。呉春の池田時代は「平家物語大原小鹿画賛」のように蕪村の影響を受けた俳画を描きつつ、新たな展開を模索した時期だと理解されている。

その池田時代の呉春に注目したのが逸翁美術館(大阪府池田市)で開催中の展覧会「画家『呉春』―池田で復活(リボーン)!」である。呉春が池田時代にどう変化したのか、何を掴(つか)んだのかを明らかにするのが狙いだ。

この展覧会には注目したい特徴がある。毎月1回中堅若手の呉春研究者6人が逸翁美術館で研究会を開き、そこでの最新研究が基礎となっている点だ。その成果は彼らの記名入り作品解説から分かるのだが、いずれにも刺激的な新知見が溢(あふ)れている。

出品リストを含め、野心的な内容のこの展覧会は前期と後期で大きな展示替えがある。前期は20日まで、後期は26日から始まり12月8日まで。

(大阪芸術大学教授 五十嵐 公一)

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