村上春樹の青春クロニクル 故郷・西宮―神戸を歩く
とことん調査隊

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関西
2019/10/8 7:01
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故郷について書くのはとてもむずかしい。傷を負った故郷について書くのは、もっとむずかしい――。作家、村上春樹さんが1997年5月、阪神大震災の傷が生々しく残る兵庫県内を歩いて書いた文章が「辺境・近境」に収められている。10日発表のノーベル文学賞の有力候補とされる世界的作家はふるさとで何を思ったのか。文庫本を手に約15キロのルートをたどった。

「僕は戸籍上は京都の生まれだが、すぐに兵庫県西宮市の夙川というところに移り、まもなくとなりの芦屋市に引っ越し、十代の大半をここで送った」。実家は95年1月の阪神大震災で「ほとんど居住不可能」になったという。

9月中旬、村上さんと同じように阪神西宮駅(西宮市)で降りて、西に向かって歩き始めた。まず小学生の頃によく買い物に来たという駅南側の商店街を訪ねる。地震発生時に止まったままの時計のモニュメントが目に留まった。

洋品店を営む高須醇子さん(80)に話を聞いた。震災で自宅兼店舗の1階がぺしゃんこに。自身は2階の窓から避難できたが、夫はしばらく生き埋めになった。2年後に店を再開したものの、大型店に押され商店街は人通りが激減した。「いつまで店を続けられるか……」。寂しそうに語った。

通りを渡ると、商売繁盛の神様「えべっさん」の総本社、西宮神社がある。村上さんは幼い頃に境内で遊んだと書いている。地震で倒れ足元に転がっていたという灯籠は修復済みだが、権宮司の吉井良英さん(58)は「よく見ると当時の影響で角が欠けたものもあります」と教えてくれた。

阪神大震災で倒壊した西宮神社の石灯籠=西宮神社提供

阪神大震災で倒壊した西宮神社の石灯籠=西宮神社提供

小さな川を越えて芦屋市に入る。「かつて通っていた中学校の前を通り過ぎ……」とあるのは市立精道中学校のことだろう。西端充志教頭(52)によると、図書室の一角にOBである村上さんの作品を集めたコーナーがある。

さらに阪神芦屋駅まで歩く。村上さんは駅のポスターで「阪神―ヤクルト」が甲子園球場であるのを知り、予定を変更して電車で向かう。スマートフォンで調べると、ちょうど同じ組み合わせのナイターがある。迷うことなく甲子園へ向かい、本と同じように外野席で冷たいビールを何杯か飲みながら観戦した。

後日、改めて阪急電車で芦屋川駅(芦屋市)に向かい、ささやかな徒歩旅行の続きにとりかかる。山側の道を西へ。神戸市の岡本、御影、六甲の各駅を通り、村上さんの母校、県立神戸高校に向かった。

急な坂道の先に「おおとり門」という校門があった。説明文によると、学校創設時の門を復元したが、震災で一部が倒壊。解体保存していたものを創立110周年の記念に改めて復元したという。

三宮で村上さんはトム・クルーズ主演の映画を見た。作品名はないが、当時の新聞を調べると「ザ・エージェント」と判明した。三宮では2館で上映していたが、残念ながらいずれも現存しないようだ。

最後に訪れたのが三宮のレストラン「ピノッキオ」。村上さんはガールフレンドと何度か来たと書いている。例年、ノーベル文学賞の発表日にファンが集まる店だ。

本と同様に生ビールを飲み、シーフードピザを食べる。「創業以来139万2034枚めです」と書いた紙片が添えてあった。村上さんは95万8816枚めだったと書いている。帰り際に中前直俊店長(63)にあいさつすると「注文で村上さんのファンだとすぐ分かりました」と笑った。カップルや若者のグループでにぎわう店内も、震災時は食器や瓶の破片が散乱し、再開に約1カ月かかったという。

「阪神大震災が自分の育った町にどのような作用を及ぼしたのか、それを知りたかった」と書いた村上さん。20年以上たっても、風景や人々の心には震災の記憶が刻まれていると感じた。(覧具雄人)

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