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昭和のエース・金田正一さん 繊細なるマウンドの大将

2019/10/7 15:50
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巨人時代の金田正一投手(1969年10月)=共同

巨人時代の金田正一投手(1969年10月)=共同

400勝投手、金田正一さん(国鉄=現ヤクルト、巨人)の死去を受け、ソフトバンク球団の王貞治会長は巨人に入って初めて対戦したときの印象を「別格以上の、それこそ大別格の投手だと感じました」と語った。「大別格」でありえた理由は理想的なフォームと、豪放磊落(らいらく)な振る舞いの陰にあった繊細さだろう。

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長嶋茂雄さんのデビュー戦で4三振を奪ったときの動画を見ると、ゆったりしたワインドアップモーション、やわらかい腕の振り、下半身の体重移動にいたるまで、どこをとっても力みがない。

巨人移籍後、初めての投球練習に立ち会ったブルペン捕手、淡河弘さんは「『じゃあ、カーブ』といって投げた球が、空に向かって飛び出したので、思わず腰を浮かせたら、ベース直前で曲がり落ちて足に当たった」と証言する。無理のないフォームから繰り出される球は直球、変化球とも切れ、その肩肘は何百球投げてもへたらなかった。

体のケアにも細心の注意を払った。キャンプでの朝一番の仕事は買い出しで、市場で肉、魚、野菜を求めて、練習後、全ての栄養が整った鍋を作り、みんなに振る舞った。ミネラルウオーターを調達し、プロ球界で初めて飲み水にお金をかけたのは金田さん、ともいわれる。

1951年から14年連続20勝。55年のシーズン34完投は2リーグ分立後の最多記録として今も残る。

59年には南海(現ソフトバンク)・杉浦忠投手が日本シリーズで4連投4連勝。61年には鉄腕・稲尾和久投手(西鉄=現西武)が年間42勝を挙げている。エースが中1日、2日で回転し、勝機があれば救援も、という時代に、金田さんのフル回転も異例ではなかったが、その長寿は理想のフォームと「細心」を抜きにしては語れない。

体のケアという点では静養先のハワイで佐々木主浩さん(横浜=現DeNA、メジャーで抑えとして活躍)とばったり会ったときに「何かにけつまずいて、ケガをしたらどうする」と、サンダル履きを叱ったという話がある。体が資本という徹底したプロ意識。そこからくるいたわりのまなざしは球団に関係なく、野球のすべての後輩たちに注がれていた。

「(ビクトール)スタルヒンが300勝を挙げたとき、おれはまだ100勝足らずだったかな。300勝なんて無理かなと思ったのを覚えているよ」。400勝を報じる新聞にこんなコメントが残っている。レジェンドたちが競演していた時代が、確かにあった。

勝ち投手の権利がかかった場面では、自分からマウンドに乗り込むこともあったという金田さん。頼りになるが、ちょっぴり我は強いという昭和のエース像は多分に金田さんのイメージに拠(よ)っていたとも思われる。監督に交代といわれれば素直にマウンドを降りる投手ばかりになった今、日本中が「我」にまみれてギラギラしていた時代が、妙に懐かしい。

(篠山正幸)

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