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快速球でけん引、奔放の裏で猛練習 金田正一さん死去

巨人時代の金田さん(1965年)=共同

栄光の現役時代よりも苦闘のロッテ監督時代が印象に残る。1974年に中日を破って日本一。翌75年春の鹿児島キャンプは注目されるはずが、取材陣は短い滞在でそそくさと去った。「宮崎へ行くのか」とつぶやいた金田さんの寂しい顔。

現役引退直後の長嶋茂雄さんが率いた巨人の宮崎キャンプは、大変なにぎわいだった。「チャンピオンはわがロッテ」という悔しさが、金田さんをロッテとパ・リーグの"宣伝部長"にした。

少々泥くさいが、人気盛り上げを意識した言動の数々。ベースコーチに立っての"カネやんダンス"が極め付き。チーム編成でも監督経験者の野村克也、江藤慎一、2年もブランクがある城之内邦雄の各氏を戦列に加え、話題作りに懸命だった。

400勝は猛烈なトレーニング、慎重な体調管理から生まれた。奔放に振る舞ったが、戦う体を維持するのには気を遣った。"金田スープ"に代表される栄養バランスへの配慮、「走れ、走れ」の素朴な練習法は多くの選手に見習われた。

1974年10月、ロッテの監督として日本シリーズを制し、胴上げされる金田さん=共同

まぎれもなく、史上最速投手の筆頭候補。58年には国鉄対巨人の開幕戦で、新人の長嶋さんを4打席4三振に切って取った。スピードガンはなかったが、若いころは150キロ前後を常時マークしたと思われる。この快速球をノーサインで受けた国鉄の根来広光捕手も、栄光の記録とともに記憶されていいだろう。

巨人での金田さんは、川上哲治監督による"哲の規律"に窮屈そうだった。投球は早いインターバルから大きなカーブを生かす緩急投法に変わった。400勝目は巨人V5決定の翌日、先発城之内さんの"アシスト"で生まれた。3-1とリードした五回からマウンドに上がったのだ。

14年連続20勝をマークした国鉄時代にも、似た状況で助けられたと明かし、首脳陣と僚友の心遣いに感謝した。「あの球をよく打てた」と、大先輩の阪神・藤村富美男さんに面と向かって言った若い日のごう慢な姿は、みじんもなかった。(浜田昭八)

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