渋谷公会堂(東京) 五輪と歩む「ロックの殿堂」

ひと・まち探訪
コラム(社会・くらし)
2019/10/5 11:42
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1964年東京五輪の会場だった渋谷公会堂は、2020年大会を前に生まれ変わる

1964年東京五輪の会場だった渋谷公会堂は、2020年大会を前に生まれ変わる

約4年の月日を経て「ロックの殿堂」が復活する。「渋公」(しぶこう)の名で、親しまれてきた渋谷公会堂は13日、「LINE CUBE SHIBUYA」と新しい名称で再スタートを切る。

1964年東京五輪の重量挙げ会場として完成した公会堂は、大会後に改修し、多目的ホールとしてオープンした。公共の施設らしく年度の変わり目の3、4月に卒業式や入学式が多く入るほかは、「音楽が中心で、ラジオやテレビの収録が目立った」(渋谷区郷土博物館・文学館の松井圭太学芸員)という。ザ・ドリフターズの「8時だョ!全員集合」の舞台としても長く使われた。

ホールは次第に若手ミュージシャンの目指す憧れの場所となる。LINE CUBEの副所長、新井映夫さん(67)は「約2千という席数がよかったのでは」とみる。ライブハウスなどで活動するグループが、次の一歩を踏み出すのにちょうどいい規模という。

ロックの殿堂だけに、逸話には事欠かない。「一人ひとり、これからやっていこうと思います」。伝説的なロックバンド「BOOWY(ボウイ)」が人気絶頂だった87年12月、突然の解散宣言をしたのがここだ。会場内は号泣するファンで大混乱。異変を聞きつけた若者で公会堂の周囲には人垣ができたという。

大きすぎず小さすぎず、来場者とのほどよい距離感は、若手に限らずベテランや海外のアーティストにも好感を持たれた。最も多くコンサートをしたのは歌手の沢田研二さんという。建て替えの決まった公会堂の最後のコンサートも沢田さんだった。

LINE CUBEは設備や音響など最先端のホールに衣替えする。こけら落としは人気グループ「Perfume」だ。駅前の再開発が進み、渋谷は新しい街に変わりつつあるが、新井さんは「アーティストや主催者、来場者に愛されるホールを目指すという姿勢は前と変わりありません」と笑顔で話していた。

(岩村高信)

1964年大会で金メダルを獲得した三宅選手(渋谷公会堂)

1964年大会で金メダルを獲得した三宅選手(渋谷公会堂)

金メダル第1号 1964年東京五輪の日本人選手の最初の金メダルが生まれたのが渋谷公会堂だ。大会2日目の10月12日、重量挙げのフェザー級で三宅義信選手が優勝し、日本選手団のその後の活躍に弾みを付けた。
2020年東京五輪の重量挙げ会場は、こちらも音楽や舞台などに使われる東京国際フォーラム(東京・千代田)。渋谷公会堂と同様に音響も良く、バーベルを落とした際の音の大きさが懸念されたが、大会組織委員会によると、7月のテスト大会では問題なく進行できたという。
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